クリストファーの価値
こうして、エーレンブルグ公爵に居場所を探し当てられたクリスは、生まれ育った最下級層から王都に移り住むことになった。
この時、エーレンブルグ公爵はすっかり浮気相手に夢中であった。
なのに、どうしてまだマリア夫人を探し続けたのか?
きっとこの話を聞いた人間は、誰もがそう思うだろう。
まずこの国、シエンティー王国では、浮気を良しとしない風潮があり、さらにに”直系の子孫”を重んじる文化がある。
よって、身ごもった妻を放置し、浮気相手に入れ込むエーレンブルグ公爵の世間の評価は
【直系の後継者を身ごもった妻に出ていかれた情けない男!】
というものだった。
さらに貴族という生き物は、常に自分の優位性を得たいがために、昨日まで慕っていた相手を平然と蹴落とせる人間ばかりだ。。
よって、他の貴族達は公爵の醜態を利用し、エーレンブルグ家を地の底へ引き摺り落とするのだ!
そうなることを恐れたエーレンブルグ公爵は、たとえポーズだと思われようが面子のために、妻を必死に探すことをやめるわけにはいかなかったのは、シエンティー王国は基本的に一夫一妻制だからだ。
だから再婚しようにも、夫婦は離婚が裁判で成立しないことには不可能である。
そして、この国でもう一つの再婚する条件があるのだが、それは夫婦のどちらかが死亡したと認定されることなのだが、今マリア夫人に訃報が出れば、真っ先に、
「エーレンブルグ公爵がなにかを仕出かした!」
誰もがそう考えるはずだ。
よって公爵はマリア夫人との関係を清算しない限り、浮気相手のアイリーンを再婚相手として迎えるは、無理と言える状況だった。
そして、そんな夫の本質を悟っている夫人からすれば
「そんな男と一緒に生活なんて死んでも御免」
そう思ってしまうのは、至極当然だと思う。
だが、いくらマリア夫人がそう願おうとも、現実は無情だった……。
なぜなら、マリア夫人の体調は既に最悪の状態で、もうその命が長くないのは明らかだったからだ。
さらに夫人は、自分がこの世を去った後に、幼い我が子が一人で最下層地域で生きぬくのは、リスキーだと考えていた。。
だからと言って、クリスを大貴族の子息として扱うようにしても、貴族の問題に巻き込まれた時、クリスが無事でいられるとは思えなかった。
マリア夫人がそんな風に考えたのは、貴族の裏の部分を良く知るマリア夫人は誰よりも理解していた。
そんな悲惨な未来を、自分の子供に迎えて欲しくないマリア夫人は
「どうしたらクリスを生き延びさせる事ができるのか?」
その事だけを死の直前まで考え、そして夫人が「自分がこの世を去ってもクリスが最も安全に過ごせる可能性」として掛けたのが、エーレンブルグ公爵家にあえてクリスを引き渡す事だった。
こうしてマリア夫人は、この世を去る前に潜伏先をあえてエーレンブルグ公爵家に流す事で、自分の居場所を公爵が探し当てるように仕向け、公爵邸に戻った際にある取引を持ち掛けた。
その内容は、クリスの身の安全を保障しなければ、自身の持つありとあらゆる力を使って『エーレンブルグ公爵を貶める様々な情報を、世間に公開する』といった、公爵に対する脅しとも言える内容だったが、これは、我が子の今後の生活における最低限の安全を約束させるためだけの取引だった。
そしてエーレンブルグ公爵家はその取引に応じるのだが、それもクリスが無事に生まれ生きていたというのは「正当な公爵家の血を引いた子供がいる」ことにかわりない。
よって、これで公爵家としても抱えていた直系の跡取り問題も、無事解決に進むと思っていたからだ。
しかし、なんとここで思わぬ事実が発覚する!
何とクリスは、マリア夫人とエーレンブルグ公爵の間に生まれた子供ではなく【マリア夫人と最下級地域出身の男の間に生まれた子供】というのが分かってしまったのだ。
クリスがエーレンブルグの正当な血筋を引く子供ではないなら、肝心の”正当な血筋を引いている子供は一体何処に?” そんな疑問が生じるのだが、その答えは残酷だった……エーレンブルグ家の血を引く子は、母親同様この世をとっくに去っていたのだ。
クリス曰く、亡くなったその子は姉であり、名前は「クリスティーナ」だったらしい。
クリスティーナは生まれつき体が弱かったらしく、マリア夫人が亡くなった直後に、その後を追うようにしてこの世を去ったそうだ。
これには世間の批判逃れのために、直系の後継者として堂々とクリスを迎え入れようと考えていたエーレンブルグ公爵にとって、当てが外れることになったが、マリア夫人との取引がある以上、クリスことクリストファーを捨てる訳にもいかない。
マリア夫人も、この事実が発覚すれば、エーレンブルグ公爵家はさぞ慌てふためき、公爵を蹴落としたい貴族達からしても、エーレンブルグ公爵家を非難するための、格好の餌となることを想像していたようだが、夫人が死後に残した策略は大きく外れることとなる。
なんとエーレンブルグ公爵は、クリスを「エーレンブルグ公爵家の養子として受け入れる」と大々的に公表したのだ。
なんでもクリスが今は亡きマリア夫人の面影を強く残していた事で、エーレンブルグ公爵は
【過去に自分の仕出かした事に大いに後悔し、私は自責の念に駆られた。
だから、亡き妻が残した子供を立派に育て上げるのが、亡き妻に対するせめての償いとなる以上、私はこの子を立派に育て上げる!】
そう大々的にメディアに報じたのだ。
更にこのメディアに向けた発言は、より美談として語るように様々な者達を利用し、これを公爵は世間に広めさせたことで、醜聞だった話題はいつしか美談に早変わり。
こうしてクリスを”エーレンブルグ公爵家の養子として渋々迎え入れただけ”の行為は
『エーレンブルグ公爵は一度過ちを犯したものの、己の過ちを認める度量を持つだけでなく、慈愛に満ちた高貴なる精神を持った人徳者』
となり、一度は地の底に落ちようとしていたエーレンブルグ公爵家の評判は、この美談が切っ掛けとなって、地に落ちていた名声は一気に盛り返す。
そして再び公爵の権威は貴族社会のトップに返り咲いた。
・・・
そして、ここからは美談抜きの現実の話。
要は俺が直接見たり聞いた話になるんだが、実際にその慈愛に満ちたと世間に評される公爵様の計らいで、最下級から最上級への身分に引き上げられたクリスは、今幸せに暮らせているのかどうか?
その答えは現実はそんなに甘くない! それが最も当てはまる答えだ。
クリスが公爵家に来てから、父親であるエーレンブルグ公爵から最初に言われた一言は
「お前がエーレンブルグ家の敷居を跨ぐ事は決して許さない!」
の一言であり、実の父親とは思えない発言だった。
そしてその言葉は【クリスをエーレンブルグ公爵家の一員として決して認めない!】 そう宣告していると同じであり、実際公爵はクリスと共に生活するどころか、クリスだけを本邸の敷地外の離れに十年以上住まわせている。
こうして、エーレンブルグ公爵家の養子としてのクリスの生活が始まったのだが、新生活開始早々クリスの元にエーレンブルグ公爵の浮気相手であり、クリスが養子入りして直ぐに”現公爵夫人”となったアイリーン夫人が訪れる。
このアイリーン夫人、今や夫となったエーレンブルグ公爵に、負けず劣らずの中々性根の悪い人間だ。
なんせマリア夫人の訃報を知るや否や、即エーレンブルグ公爵と籍を入れ、現公爵夫人となっただけでなく、懐妊の知らせまでセット持ってきてたのは、流石に狙ったとして思えない。
そして時折クリスの元に訪れるのは、世間に「前公爵夫人の残した忘れ形見の面倒を見ている心優しい夫人」のイメージを植え付ける為のポーズでしかない。
なんせ夫人が実際にクリスの元にやってきて口にするのは
「お前は養子なんだから、私達に養ってもらえる事を心から感謝しなさい。
だから私に何をされたって、文句は言えないのよ!」
それを口実に、クリス会う度に罵倒と暴力を浴びせていたのだ。
こうして言葉でも、力でもクリスを貶す行為は今でも続いているし、こうすることでクリスに反抗心さえ芽生えさせないように仕向けているアイリーン夫人だが、ソレを隣で見ている者も、平然と行うようになる。
つまり、アイリーン夫人のそんな姿を見て育った夫人の娘であるアデル公爵令嬢も、平然とクリスに虐待行為を行っているのだ。
特に悪質だと思ったのが、俺がクリスの元を訪れた時を狙ったかのように、夫人と令嬢は現れ、クリスに対して罵詈雑言を俺に見せしめのように浴びせた時もあったぐらいだ。
そんな現公爵夫人とその娘の行為は、明らかにマリア夫人と交わした契約に違反しているように思えるが、どうやらエーレンブルグ公爵は過去にマリア夫人の息が掛かっていた者達に、この話は行き届かないように上手くやり込めているのか?
そもそもマリア夫人との契約が”最低限の生活を保障する”である場合、クリスは衣食住や一般教育に関しては、間違いなく最低限保証されているのは間違いないので、契約違反とならないのかもしれない。
何にせよエーレンブルグ公爵が、クリスの現状を知っていても見て見ぬふりをしたって、問題になっていないの現実だ。
きっとこの現状を、今は亡きマリア夫人が知れば、夫人の魂は居た堪れない気持ちに苛まされるだろう。
そう思うと、なんともやるせない気持ちになる……
そしてこの現状を、俺だって黙って見て見ぬ振りなんてしたくない!
だけど、俺はまだ爵位も受け継いでないただの16歳の学生であり、俺の生家であるトリファー男爵家が、最上位貴族にこの現状に異議を申し立てたって、司法から全く相手にもされないのは目に見えている。
そして公爵家の中で最も立場の弱いクリス本人が、この現状を訴えたとしても、貴族の最上位に位置する者達の力の前には、簡単にもみ消される。
それがオチだというのを誰もが理解しているから、この現状に今のところ誰も手を打てないでいる。
そんなクリスを取り巻く悪しき環境の中で、唯一の救いと言える点は、クリスに仕えている使用人達は、かつてマリア夫人に仕えていた夫人を慕っていた人達を中心に構成されているので、母親の面影を残しているクリスに対し、誠心誠意仕えてくれていることだ。
それでも”大貴族の管理する場所”とは思えないぐらい質素な作りをしている離れを見ると、クリスの扱いの悪さは嫌でも目に入ってしまう。
つまり、これが俺の親友を取り巻く家庭環境の事実ということだ。
最後まで読んで頂きありがとうございます。




