↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
泣き女のわたくしが呼ばれたのは、誰ひとり泣かなかった公爵夫人の葬儀でした ~涙を売る令嬢と、涙を忘れた公爵~  作者: ヲワ・おわり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
28/30

第28話 十日後

 公示は、分祠の扉に貼り出されていた。

 四月の末である。雪解けの水が丘を下って、道の両側で細い流れになっている。分祠の前庭の土は柔らかく、履き物の裏に貼りついた。

 紙は一枚。神殿の透かしが入っている。


  返名の儀 五月十日 日没 黙島分祠

  舟 四艘

  立会 渡し司祭ドルーガ

  立会 泣き女


 最後の欄が、空いていた。

 「うわ」

 隣で、セヴランが声を出した。

 「ここ、空けたまま貼るんだ」

 「審査中でございますので、指名ができません」

 「じゃあ、当日までに埋まらなかったら」

 「泣き女が立たなければ、儀は成りません」

 リゼットは紙の端を見た。糊の乾き方から、貼られたのは昨日か一昨日である。十日ぶん、この空欄が扉にある。

 「預かられた名は、その年は返りません。翌年へ持ち越しになります」

 「持ち越すと」

 「もう一年、死者のままでございます」

 セヴランは空欄を指差した。

 「これ、埋められるのは母さんだけだよ」

 風が紙の下端をめくって、また戻した。

 空欄は、扉に十日ある。

 通る者はみな見る。村の者も、神殿の者も、家の者も。誰も埋めないまま日が過ぎれば、埋まらないのが当たり前になる。

 置いておけば太る、というのは噂だけの話ではない。

 「僕、母さんに言ってみようか」

 セヴランが前庭の石に腰を下ろした。

 「おやめくださいませ」

 「なんで」

 「あなた様が動かれれば、奥様は理由をお知りになります。理由をお知りになれば、埋まる欄も埋まりません」

 彼は膝の上で指を組んで、ほどいた。

 「じゃあ、僕は何をすればいい」

 「今は、何も」


 分祠の中は、暗かった。

 石造りで、窓が高い。前庭から入ると、目が慣れるまで足元が見えない。リゼットは扉の内側で立ち止まり、そこで声を聞いた。

 記録室の扉が、半分開いている。

 「三名のうち一名は」

 平たい声だった。

 「閣下が記載をお求めになったものでございます」

 彼女は動かなかった。

 黙の掟は、葬儀の場でのみ有効である。ここは儀の場ではない。分祠の廊下で人の話が聞こえたとき、耳を塞ぐ決まりは、どの掟にも書かれていない。

 「何を仰いますの」

 マルグリットの声である。

 「五百十二年の四月一日でございます。記載をお求めになったのは閣下、認証いたしましたのは私。手続きは正当でございます。ただ、事由の欄は空でございます」

 「あなた、それを」

 「証しにはなりません。ですが、申し上げることはできます」

 紙を繰る音がした。

 「奥様。お考えいただきたいのは、順序でございます。泣き女が騒げば、まず疑われますのは記載した者でございます。二十六年、記載を一つも落としていない者が、五百七年と五百十一年の二件について問われる。私は答えねばなりません」

 「答えなければよろしいでしょう」

 「答えずに済ませる方法が一つございます。三件目を出すことでございます」

 「……」

 「三件のうち一件は、公爵閣下がお求めになったものでございます、と。そう申し上げれば、話は二件から三件になります。三件のうち一件に公爵家の当主が関わっておりますなら、これは家の問題でございます。神殿の問題ではなくなります」

 リゼットは、扉の内側で息を止めていた。

 同じ抜け穴である。

 二人を消したのも、一人を逃がしたのも、同じ紙と、同じ司祭と、同じ手続きだった。並べて書けば、区別がつかない。

 書くのは、書いたほうである。

 「お家のためですのよ」

 マルグリットの声が、低くなった。

 「わたくしがしてきたことは、全部」

 「存じております」

 「あなたのしてきたことは」

 「数を合わせることでございます」

 沈黙があった。

 「それだけでございます、奥様」

 紙を揃える音がした。

 「もう一つ、申し上げます」

 「まだ何か」

 「泣き女の欄でございます。十日のあいだ、空でございます」

 「埋めるつもりはございませんわ」

 「埋めずにお済ませになりますと、儀が成りません。儀が成らねば、預かられた名は翌年へ持ち越されます」

 「それで結構ですわ」

 「私は、結構ではございません」

 声に、初めて角が立った。

 「四十八冊の名簿に、返らなかった名が残ります。返らなかった名は、翌年の冊へ繰り越して書き足さねばなりません。繰り越しの記載は、二十六年で一度も出したことがございません」

 「まあ」

 マルグリットの声が、少しだけ高くなった。

 「あなた、そちらのほうが大事ですのね」

 「大事という言い方は、私にはよく分かりません」

 八年、この二人は同じ側に立ってきた。同じ側に立っていたのであって、同じものを見ていたのではない。片方は家を見ていて、片方は紙を見ていた。

 家が傾いても紙は残る。紙が焼けても家は残る。

 どちらかを選ぶ日が来れば、二人は別々のほうへ歩く。

 リゼットは分祠を出た。


 屋敷に戻ったのは、日が落ちてからだった。

 書斎に通された。暖炉の火はもう入っていない。四月の末で、この土地でもようやく薪を止めたところである。

 彼女は、聞いたことをそのまま伝えた。

 順序も、言葉も、変えなかった。付け足しも引き算もしない。六年、他人の言ったことをそのまま帳に書き写してきた手つきで、そのまま渡した。

 オルデリクは、否定しなかった。

 「そのとおりだ」

 彼は机の縁に手を置いた。

 「私も、同じ抜け穴を使った」

 「はい」

 「叔母上が使ったのと、同じものだ。使い道が違うだけで、やったことは同じだ。並べて書かれれば、区別はつかない」

 「はい」

 言い訳をしない人である。この一年で、彼女はそれを何度も見てきた。

 だからこそ、訊かねばならなかった。

 「閣下」

 「なんだ」

 「返名の儀で、あの方のお名前をお返しすれば、応える声が上がります」

 「ああ」

 「渡しは無効になり、四月一日の記載が消えます。消えれば、記載をお求めになった方が誰かを、神殿は調べます」

 「そうだ」

 「では、あなた様も裁かれます」

 書斎が静かになった。

 窓の外で、雪解けの水の音がしていた。丘を下る細い流れが、石を叩いている。この音は、二月まで無かった音である。

 「それでも、わたくしに返せと仰いますか」

 オルデリクは、答えなかった。

 長い沈黙だった。この人の沈黙には種類がある。答えを探しているとき、答えたくないとき、答えが一つしかないとき。

 今夜のは、三つ目ではなかった。

 答えが二つあって、片方を捨てなければならない人の黙り方だった。捨てるほうには、自分の家と、爵位と、領地と、これから先の全部が入っている。

 窓の外の水が、石を叩き続けていた。

 この一年、彼女はずっと、悪いほうと良いほうを分けようとしてきた。

 分けられなかった。

 二人を消した紙と、一人を逃がした紙は、同じ棚の同じ冊に、同じ字で並んでいる。返せば、全部が同時に開く。悪いほうだけを開ける鍵はない。

 彼女にできるのは、預かった名を返すことだけである。返すか返さないかしかなく、選んで返すという道は、掟のどこにも書かれていない。

 彼は机の縁から手を離した。


 「返してくれ」


 一周忌は、十日後でございます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。