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泣き女のわたくしが呼ばれたのは、誰ひとり泣かなかった公爵夫人の葬儀でした ~涙を売る令嬢と、涙を忘れた公爵~  作者: ヲワ・おわり


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24/30

第24話 規定どおり

 小広間に呼ばれたのは、朝の遅い時刻だった。

 一月の下旬である。窓の内側に霜の花が張りついていて、外が見えない。暖炉には火が入っているが、石の広さに対して火が小さい。

 扉を開けると、三人が座っていた。

 中央にマルグリット。その左に、黒い長衣。右に、見たことのない中年の男が一人、膝の上に帳面を置いて座っている。

 三人が座っていて、椅子はそれ以上出ていない。

 職能民を一人呼んで、掛ける者が三人いる。この形を、リゼットは知っている。屋敷の作法として叱るときには、聞かせるための人間を残す。三人残すのは、叱るためではない。

 「泣き女組合の、書記でございます」

 右の男が名乗った。王都の帳場で報告を書き取った男とは別人だった。

 「返名の儀の、事前の確かめに参りました」

 「遠いところを、恐れ入ります」

 「六日でございます」

 男の言い方は事務的で、悪意はなかった。ただ、六日かけて呼ばれてきたということは、六日前に誰かが呼んだということである。

 叱るのは主人の仕事で、記録を残すのは組合の仕事である。両方が同じ部屋にいる。

 この一年で、この屋敷の広間に呼ばれたのは三度目だった。一度目は襟布の幅、二度目は泣き方の講評。どちらも作法の話である。作法の話に、神殿と組合は出てこない。

 リゼットは立ったまま、二冊の帳を胸に抱えていた。


 「本年、五月十日の返名の儀につきまして」

 ドルーガが口を開いた。平たい声である。

 「立会いの泣き女は、あなた様お一人でございますな」

 「はい」

 「お預かりは、五名」

 「はい」

 「では、確かめのため、預かり帳をお出しください」

 広間が静かになった。書記の帳面に、字を書く音がした。

 「規定でございましょうか」

 「規定でございます」

 ドルーガは組んだ手を膝の上に置いたまま動かさない。

 「返名の儀は神殿の儀でございます。儀の前に、渡し司祭が死者名簿との照合を求めることは、規定に定められております。数が合わぬまま儀を行えば、返らぬ名が出ますので」

 嘘ではなかった。

 組合に入った年に、規定の書付を写させられた。返名の儀に関わる条は十七ある。そのうちの一つに、司祭は照合を求めることができる、と書いてある。求めることができる、とだけ書いてある。

 この八年、そんな求めを受けた泣き女の話を、彼女は聞いたことがない。

 「書記様」

 彼女は右の男のほうを向いた。

 「規定に、ございますか」

 「ございます」

 男は帳面から目を上げなかった。

 「ただし、応じる義務については、条に書かれておりません」

 中立だった。この人は記録を取りに来ただけで、どちらの味方でもない。


 「お出しできません」

 リゼットは言った。

 「帳は、返名の日まで、誰にもお見せできません。掟でございます」

 「規定と掟では、規定が上でございます」

 「掟を破りました泣き女は、その日から泣き女ではございません。泣き女でない者が返名の儀に立つことはできません。お出しした瞬間に、五名の名は返らなくなります」

 ドルーガは反論しなかった。

 黙って、彼女を見た。細い目である。二十六年、記載漏れをしたことがない男の目だった。

 「三名」

 彼が言った。

 「あなた様が気づかれたのは、三名でございましょう」

 胸の中の帳が、重くなった気がした。

 「三名で合っておりました、と私は申し上げました。合っているものを、私は数え直しました。六月の八日でございます」

 覚えている。

 板の間ではなく、小教区の礼拝堂の脇の小部屋だった。二冊の帳面が机の上に並んでいて、彼は万年筆を置き、名簿を前へ二枚戻し、指の腹で行をなぞって、こちらへ戻した。息にして四つか五つ。

 合っているものを、なぜ数え直すのか。

 あの夜から七月ものあいだ、彼女はそれを考えてきた。数え直す必要など、どこにもなかったはずだと。

 必要があったのだ。

 聞かせる必要が。

 「わたくしに、憶えさせるためでいらしたのですか」

 「憶えていただかねば、確かめに行かれませんので」

 「……なぜ」

 「確かめに行かれる方は、必ず記録をお持ちになります」

 リゼットは、胸の帳を抱え直した。

 九月の朝、枕の下の帳が指二本ぶん出ていた。開かれてはいなかった。開けば咎められるのは触った側だから、開かずに動かした。あのとき彼女は、取り上げられたらどうするかを考えなかった。考えて答えの出る問いではないと思った。

 答えは、目の前にある。

 取り上げられるのではない。差し出させるのだ。

 規定を作った人間は、悪意で作ってはいない。返らない名が出ないように、照合の道を一本残しただけである。掟を作った人間も同じで、名を憶えている者を守るために、帳を閉じさせただけだった。

 どちらも正しい。二つ並べると、人が一人潰れる。

 この一年、彼女が見てきたのは、そういうものばかりだった。

 「お出しできません」

 もう一度、同じ言葉を言った。

 声は震えなかった。震えていたのは指のほうで、それは帳の背に押しつけて隠した。

 ドルーガは、それ以上求めなかった。


 「泣き女が掟をお守りになるのは、結構なことですわ」

 マルグリットが、初めて口を開いた。

 「書記様。ついでに、この娘の所見を申し上げてもよろしくて」

 書記の手が止まった。

 「所見、と申されますと」

 「泣き方でございます。わたくしはこの家の内向きを預かっておりますから、雇い入れた者の働きぶりを申し上げる立場にございます」

 彼女は膝の上で指を組み直した。

 「五月の広間はよろしゅうございました。ですが、庭師の家では声が高うございましたわ。品がない、と申し上げましたけれど、直っておりません。七月の小教区では、九人しかおりませんのに、いちばん強い型をお使いになりました。あれは喉を潰す型でございましょう。潰せば、返名の儀で声が出ませんわね」

 書記が書き取っている。

 「それから、屋敷での振る舞いについても、少々」

 「奥様」

 「なんですの」

 「その所見は、記録に残りますでしょうか」

 「残していただかねば、申し上げる意味がございません」

 優美な声だった。声を荒らげたことは一度もない。

 リゼットは頭を下げた。反論はしなかった。

 全部、本当のことである。

 庭師の家で声を高くしたのは、遺族の泣き方に合わせたからだ。九人しかいない礼拝堂でいちばん強い型を使ったのは、九人では足りなかったからだ。喉を潰しかけたのも本当で、二月経っても抜けていないと師に言い当てられた。

 理由を言えば、理由も記録に残る。記録に残った理由は、あとで別の形に読み替えられる。六年で、それも見てきた。


 ドルーガが立ち上がった。

 長衣の裾が石を擦る音がして、彼は扉のほうへ二歩進み、そこで振り返った。

 「本日は、ご苦労さまでございました」

 「恐れ入ります」


 「では、規定どおりに進めましょう」


 何の規定かは、仰いませんでした。


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