表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
泣き女のわたくしが呼ばれたのは、誰ひとり泣かなかった公爵夫人の葬儀でした ~涙を売る令嬢と、涙を忘れた公爵~  作者: ヲワ・おわり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/30

第18話 届いた包み

 包みが届いたのは、朝の霧がまだ引かないうちだった。

 裏門で荷を降ろしていた下男が、名を読み上げた。組合からである。麻布に包んで紐で十字にかけた、本の形をした荷だった。

 「お検めは」

 ヴィルヘルムが紐の結び目を見た。結び目の上に、組合の封蝋が押してある。

 「結構でございます」

 家令は包みを持ち上げて、重さを確かめる手つきをした。

 「……重うございますな」

 「本のようでございますね」

 「はい」

 それだけの会話だった。家令はそれを彼女に渡し、荷の残りのほうへ行った。

 組合の封蝋は、この家の家令が破ってよいものではない。屋敷の中で交わされる紙とは筋が違う。三月前に上着の内側へしまわれた封筒のことを、リゼットは一度だけ思い出して、それ以上考えなかった。

 半期報告の綴りが返ってきたのだと思った。

 厚みが合っている。次の期の報告用紙も入っているのだろう。

 部屋へ持って上がって、寝台の上で紐を切った。

 麻布を開いた。

 古い帳が、一冊あった。

 背が二度、三度と綴じ直されていて、糸の色が層になっている。革表紙の角は擦れて丸くなり、下の芯が覗いている。親指の当たる位置に、手垢の跡が二つ。

 二月前に、王都の奥の間で見た帳だった。

 その上に、書付が一枚載っている。組合の書記の字だった。事務の紙である。日付と、要件と、控えの番号。


  ヨセフィーネ、渡り成れり。十月十四日。立会いなし。


 立会いなし。

 リゼットは、その四文字を三度読んだ。

 泣き女の渡しには、泣き女が立つ。組合の決まりである。四十年勤めた者なら、稽古場の娘が十四人いる。誰でも行ける。行かせないためには、組合に報せが行かないようにするしかない。

 行かなかったのではない。

 呼ばれなかったのだ。


 日付を数えた。

 十月十四日に、渡りが成った。

 包みが組合を出たのは、二十日。始末がついてから送られている。

 届いたのが、今日、二十六日。

 十二日である。

 この十二日のあいだ、彼女は屋敷で白布を洗い、襟布を直され、図書室で三年ぶんの使用人録を見て、痩せましたわねと言われていた。

 王都までは片道六日。

 報せがその日に飛んだとしても、着くのは二十日。そこから発てば二十六日。渡しはとうに終わっている。

 どう数えても、間に合わない。

 彼女は寝台の縁に座って、膝の上の古い帳を見ていた。

 四十年ぶんである。ラングヴァイ家の渡しが二十年ぶん載っている。先代の公爵、その前の奥方、女中、御者、そして六年前の若い方。そして──載っていないものが、載っていないという形で二つ入っている。

 この帳が、突破口だった。

 突破口を送るために、この人は自分の分の紐をほどいたことになる。

 リゼットは頁を繰った。

 繰るのは掟に触れる。他人の帳を読むことは、見せることと同じ重さで禁じられている。

 繰った。

 ラングヴァイ家の頁は、後ろから四分の一のあたりにあった。

 五百六年の春。若い方の渡し。喪主の欄に、当時の当主の名。立会いの欄に、この人の署名。備考の欄に、鉛筆で一行。


  泣きが余る。喪主、泣かず。


 泣きが余る、というのは職業の言い方である。こちらが声を出しても、遺族の呼吸が乗ってこない。泣き女が一人で夜を持ち上げることになる。

 この人は六年前に、あの広間で同じものを見ている。

 五百七年の頁を繰った。

 侍従長の渡しは、載っていない。

 載っていない代わりに、日付だけが書いてあった。


  五百七年 三月 呼ばれず。ラングヴァイ。


 五百十一年にも、同じ形の行があった。


  五百十一年 九月 呼ばれず。ラングヴァイ。


 載っていないものが、載っていないという形で載っている。

 リゼットは指を止めた。二月前に王都の奥の間で聞いた言葉が、そのまま紙の上にあった。

 それより前の頁へは、戻らなかった。四十年ぶんある。今日はそこまでの気力がなかった。

 最後の頁まで飛ばした。

 四十年ぶんの最後の行の下に、空きがある。そこに、鉛筆で一行だけ書かれていた。インクではない。手元にあったもので、急いで書いた字だった。


  帳を持ちな。あたしの分もだ。


 筆圧が強い。最後の「だ」の払いが、紙を少し破っている。

 この人は、来ると分かっていた。

 分かっていて、王都の門前で、日陰の犬を見ながら、お前さんの心配はしてないよと言った。


 中庭に出たのは、日が落ちてからだった。

 十月の夜は冷える。井戸の縁に霜が降りはじめていて、手をつくと指が張りついた。草の匂いが夏より鋭い。どこかで水が落ちている音は、あの夜と同じだった。

 リゼットは井戸の脇に膝をついた。

 誰もいない。屋敷の窓はどれも暗い。

 彼女は息を吸った。

 六年である。六年、毎晩のようにやってきた。喉を開いて、腹から押し上げて、天井に当てて割る。低くも高くもできる。途切れさせることも、満たすこともできる。王都でいちばん高い声だと言われている。

 息を吸って、開いた。

 出なかった。

 もう一度吸った。喉の奥が閉じている。閉じているというより、そこに何もない。押しても、叩いても、水の一滴も上がってこない。

 器に、自分の水を入れてはならない。

 入れないように六年やってきた。やってきたから、入れ方が分からない。

 試しに、仕事の型を使ってみた。

 庭師の家で使った低い型。文書係の礼拝堂で使った中庸の型。九人しかいない礼拝堂で使った、いちばん強い型。

 喉を開く手順は体が憶えている。腹の力の入れ方も、息の配り方も、口の形も。全部そのとおりにした。

 声は出た。

 仕事の声だった。

 夜の中庭に、雇われた泣き声が短く上がって、すぐに消えた。彼女は口を押さえた。押さえた手のひらに、自分の息の熱だけがあった。

 これではない。

 彼女は井戸の縁に額をつけた。

 石が冷たかった。

 十一年前にも、同じことをしている。母の棺の前で、一晩、同じことをした。あのときも出なかった。あのときは組合に入る前だったから、掟のせいではないと自分に言ってきた。

 掟のせいではなかった。

 最初から、こうだった。

 足音がした。

 顔を上げないまま、彼女は膝の上で指を組んだ。組んでも震えは止まらなかったが、震えているのは寒いからだ、ということにできる。

 オルデリクは、何も訊かなかった。

 彼は井戸の脇まで来て、そこで立ち止まり、膝をついている彼女の脇にしゃがんだ。しゃがむ音が、外套の裾が石を擦る音でわかった。

 膝の上に、布が置かれた。

 白い。たたんである。目の詰んだ麻で、毛羽が立たない。

 「今夜は、いい」

 それだけだった。

 彼は立ち上がり、来たときと同じ歩幅で戻っていった。慰めなかった。名前も呼ばなかった。

 リゼットは、膝の上の布を握った。

 握ったが、濡らせなかった。


 「帳を持ちな。あたしの分もだ」


 わたくしは声を上げようとして、上げられませんでした。

 六年間、毎晩泣いてきた喉が、その夜だけ動きませんでした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ