↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
泣き女のわたくしが呼ばれたのは、誰ひとり泣かなかった公爵夫人の葬儀でした ~涙を売る令嬢と、涙を忘れた公爵~  作者: ヲワ・おわり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
15/30

第15話 前任者

 「届いておりません」

 組合の書記は、台帳から目を上げずに言った。

 王都までの六日は、雨に二度降られた。宿場で乾かした外套がまだ湿っていて、帳場の窓から入る夏の終わりの日差しが、その匂いを立たせている。

 「六月末が期限でございます。本日は八月の二十七日」

 「出しました」

 「届いておりませんので、出ていないのと同じでございます」

 言い返す言葉が、なかった。

 封筒を家令に渡したところを、彼女は見ている。中身を検められ、封蝋を押し直され、上着の内側にしまわれた。荷馬車には乗らなかった。

 それを言えば、屋敷の家令が書簡を握り潰したという話になる。証しはない。あるのは彼女が見たという事実だけで、泣き女の見たことは、公爵家の家令の言葉に勝てない。

 膝の上の鞄に、帳が入っている。

 開いて机に置けば、四つの名と日付が並んでいる。書いたのは本人にしか読めない癖字で、六年ぶんの筆跡と続いている。半期の報告を作っていた形跡は、そこに全部残っている。

 開けない。

 他人の目に触れた時点で、彼女は泣き女でなくなる。四つの名は誰にも返らない。

 「口頭で、報告いたします」

 「では、伺います」

 「五月十日、シビル・ラングヴァイ様。五月二十一日、ヨナス。六月八日、マティアス。七月二十三日、ライナル」

 書記は書き取った。書き終えてから、初めて顔を上げた。

 「四件。三月半で四件は、多うございますね」

 「はい」

 「次は、遅れませんように」

 「一つ、伺ってもよろしいでしょうか」

 「どうぞ」

 「一年契約の泣き女が、途中で組合へ戻ることはできますか」

 書記の手は、台帳の頁を繰るのをやめなかった。

 「できません。割り振られた依頼を途中で返した者は、名簿から外れます」

 「病でも」

 「病でしたら、代わりを送ります。ただ、代わりが着くまでに片道六日でございます。それから、代わりの泣き女は、あなたの預かった名を返せません。預かった者にしか返せませんので」

 「承知いたしました」

 それだけだった。


 奥の間には、湯の匂いがした。

 ヨセフィーネは窓際の椅子に沈み込んで、湯呑みを両手で包んでいる。夏の終わりでもこの人は湯を飲む。喉のためだと昔から言っている。

 「戻ったのかい」

 「呼ばれましたので」

 「怒られたかい」

 「はい」

 老女は湯を一口飲んだ。それから、リゼットのほうへ耳を向けた。目は開いているが、誰も見ていない。

 「お前さん、この夏、いちばん強いのを使ったね」

 声が、少し止まった。

 「……七月に、一度」

 「喉に残ってる。二月経っても抜けてない。何人だった」

 「九人でございました」

 「九人で、あれを使ったのかい」

 「身寄りのない方でしたので」

 ヨセフィーネは湯呑みを膝に下ろした。

 「馬鹿だね」

 褒めているとも、叱っているともつかない言い方だった。

 リゼットは、数のことを言わなかった。

 言えば、この人が数え始める。数え始めた人がどうなるかを、彼女はまだ知らないが、知らないことが起きている家に、この人を引き込む理由はない。

 「あの家は、どうだい」

 「静かでございます」

 「前もそう言ったね」

 「……はい」

 「二度同じことを言うのは、言えないことがあるときだよ」

 湯の面に、老女が息を吹きかけた。

 「言わなくていい。言われたらあたしが数え始めちまうからね。あたしは数え出すと止まらない」

 だから黙っていた。

 黙っていたのに、老女のほうから言った。

 「あの家の渡しはね」

 湯呑みの縁を、皺の寄った指がなぞった。

 「あたしが全部やったよ」

 「全部、でございますか」

 「先代の公爵。その前の奥方。屋敷の女中も、御者もね。あの家に泣き女が要るときは、あたしが行くことになってた。二十年そうだった」

 リゼットは膝の上で指を組んだ。

 「六年前の、若い方も」

 「ああ」

 老女は少し黙った。

 「あれは、ひどい夜だった」

 それ以上は言わなかった。

 言わないと決めている人の黙り方だった。この人はそういう黙り方をするから、六年間、リゼットは訊かずにきた。

 「去年から、あたしは呼ばれなくなった」

 「なぜ」

 「歳だからだろうね」

 湯呑みが窓枠に置かれた。

 「それで、王都でいちばん高いのが呼ばれた」

 ヨセフィーネは椅子の脇に置いた革の袋を引き寄せて、中から帳を出した。

 四十年ぶんである。

 背が二度、三度と綴じ直されていて、糸の色が層になっている。厚みは、リゼットの帳の四倍あった。革表紙の角が擦れて丸くなり、下の芯が覗いている。手垢で色の変わった場所が、ちょうど親指の当たる位置に二つついていた。

 王都で四十年、泣き女をやった女がひとりいて、その四十年ぶんの名前が、この一冊の中にある。返した名も、返しそこねた名も。呼ばれた家も、呼ばれなかった家も。

 この人が死んだら、この帳はどうなるのだろうと思った。

 「あたしの帳には、全部載ってる」

 節くれだった指が、その背を軽く叩いた。

 「載ってないものも、載ってないってことが載ってるよ」

 リゼットは、その帳を見た。

 載っていないことが載っている。呼ばれなかった夜。行かなかった家。立ち会わなかった渡し。泣き女の帳は、預かった名を書くための帳だが、四十年つけていれば、書かれていない場所そのものが形になる。

 この家で、泣き女がいなかった渡しが二件ある。

 その二件が、この帳の上では空白として存在している。

 喉の奥が乾いた。

 「見せてくれとは、言うんじゃないよ」

 老女が先に言った。

 「見せた時点で、あたしもお前さんも終わりだ。掟だからね」

 「存じております」

 「知ってりゃいい」


 門前まで、老女はついてきた。

 組合の建物は皮なめし職人の通りの奥にあって、夕方になると革の匂いが濃くなる。荷を積んだ車が石畳を跳ねて、犬が一匹、日陰で伸びていた。

 「六日かけて戻るのかい」

 「はい」

 ヨセフィーネは、日陰の犬を見ていた。

 「お前さん」

 「はい」

 「泣き女が消える家ってのはね、たまにあるんだよ」

 言い方は、いつもと同じだった。天気の話をするときと同じ調子である。

 「消える、と申されますと」

 「呼ばれなくなる。それだけならいい。名簿から名前が消える者もいる。二十年に一人か二人だ。組合は騒がない。泣き女は身寄りのない女が多いからね」

 「あたしはね、四十年で二人送った」

 「泣き女を、でございますか」

 「泣き女をだよ。二人とも、いい耳をしてた」

 老女は日陰の犬から目を離さない。

 「一人は、数を数えた。もう一人は、数えたことを人に言った」

 「どちらが、消えましたか」

 「両方さ」

 荷車が石畳を跳ねていった。犬が耳だけ動かして、また目を閉じる。

 リゼットは、老女の横顔を見た。

 背が低く、腰が曲がって、耳のうしろの後れ毛が夕日に透けている。

 「わたくしは、消えません」

 自分でも思っていなかった強さで、声が出た。

 ヨセフィーネが笑った。声を出さずに、口の端だけで。


 「──お前さんの心配はしてないよ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。