第6話 演習前から帰りたい
王立騎士学院では、年に一度、合同演習が行われる。
騎士団。
騎士学院。
文官候補。
記録官。
魔導研究補佐。
それぞれが合同で参加する、実地演習だった。
今年の演習地は、北方旧街道沿いに残る古代遺構群。
旧時代。
まだ魔導文明が色濃く残っていた頃の遺跡。
今も内部には、未解析の術式や結界痕が残されている。
そのため。
戦闘役だけでなく、資料解析役も同行する必要があった。
演習前日。
王立騎士学院・図書棟奥控室。
机の上には、大量の地図と資料が積み上がっていた。
古代北方術式一覧。
遺構構造予測図。
旧街道地形記録。
その中央には、一枚の演習参加要請書。
王立騎士学院・合同演習。
資料解析補佐員。
参加者名――エルマ・フォン・ルーベルク。
「嫌です」
エルマは即答した。
「予想通りのお返事です」
向かい側で、クラリスが静かに紅茶を口へ運ぶ。
今日も腹が立つほど優雅だった。
「絶対無理です」
「何がでしょう」
「全部です」
全部だ。
演習。
屋外。
長時間。
泊まり込み。
しかも。
「今回、護衛担当はカイル様ですよ」
クラリスがさらりと言った。
終わった。
「死にます」
「まだ生きておられます」
「精神が死にます……」
クラリスは静かにカップを置く。
その目は完全に面白がっていた。
「ですが、今回の演習にはエルマの知識が必要です」
「他の方で……」
「古代北方術式読解が可能な方が他に?」
「…………」
エルマが黙る。
それが出来てしまうのが問題だった。
エルマは昔から、古代術式や魔導理論への適性が高かった。
特に。
術式の流れ。
構造。
魔力の歪み。
そういうものを読む力に優れている。
だからこそ、図書棟へ籠もるようになった。
本を読むのは好きだ。
だが、それ以上に。
静かな場所でなければ疲れる。
人の視線。
感情。
空気。
そういうものを拾いすぎるから。
「…………」
エルマは無意識に眼鏡へ触れた。
細い銀縁。
淡い魔導刻印が刻まれた特殊レンズ。
視力補助。
精神安定。
魔力焦点の制御補助。
様々な補助術式が組み込まれている。
だが。
本当にエルマを縛っているのは、術式ではない。
眼鏡を掛けていると落ち着く。
安心する。
隠れていられる。
逆に。
外すと、不安になる。
全部見られる気がする。
だから。
掛け続けた。
幼い頃から、ずっと。
「……まあ」
クラリスが静かに微笑む。
「今回の演習で、何か変わるかもしれませんね」
「変わらなくていいです……」
むしろ静かに生きたい。
だが。
そんな願いが叶わないことを、エルマはもう何となく理解し始めていた。
ここ最近。
カイルと遭遇する回数が、明らかに増えている。
図書棟。
回廊。
中庭。
訓練場近く。
そして。
会うたび、心臓が限界になる。
最悪だった。
翌朝。
王立騎士学院・正門前。
演習用馬車が並び、朝から慌ただしい空気が流れていた。
騎士団員。
学院生。
補佐官。
荷運び係。
金属音と話し声が絶えず響いている。
空はまだ朝の冷たさを残していて、学院の尖塔群の向こうを薄い雲がゆっくり流れていた。
演習参加者たちは、黒系統の外套や防寒装備を身につけている。
泊まり込みの長期演習。
学院全体に、“遠征前”の空気が漂っていた。
その中で。
「お、エルマ」
終わった。
反射的に肩が跳ねる。
赤い髪。
黒い騎士団外套。
朝日を背負うように立つ男。
カイルだった。
「…………」
無理。
朝から心臓に悪い。
「顔色悪くね?」
「だ、大丈夫です……」
「そうか?」
そう言いながら。
カイルは自然にエルマの荷物を持ち上げた。
「え」
「結構重いだろこれ」
軽々だった。
無理。
距離が近い。
声が近い。
しかも自然。
本人に悪気が一切ない。
「っ……」
エルマの耳が赤くなる。
カイルが首を傾げた。
「お前また赤くなってね?」
「なってません」
「なってるだろ」
「なってません……!!」
反射だった。
カイルは少しだけ眉を寄せる。
最近、本当にわからない。
エルマは、自分を見るたび反応がおかしい。
逃げる。
固まる。
赤くなる。
でも。
嫌われている感じはしない。
むしろ逆だ。
「……?」
カイルは不思議そうにエルマを見る。
その視線だけで、エルマの呼吸がまた浅くなる。
やめてほしい。
そんな真っ直ぐ見ないでほしい。
「各員、乗車しろ!」
教官の声が響いた。
周囲が一気に動き始める。
馬車の扉が開き。
荷物が運び込まれ。
演習組が次々と乗車していく。
「ほら」
カイルが先に馬車へ乗り込みながら、エルマへ手を差し出した。
「段差あるから気をつけろ」
「…………」
無理。
優しい。
近い。
無理。
エルマは震える手で、その手を取った。
大きい。
熱い。
待ってください。
無理です。
しかも。
軽く腕を引かれた瞬間。
身体が、一気に近づいた。
「っ……」
近い。
近い近い近い近い。
顔が。
近い。
待ってください無理です。無理無理無理!!
なんでそんな普通の顔してるんですかーーーー!!
距離がおかしい。
心臓が‥‥。
死ぬ。
本当に。
エルマが反射的に視線を逸らす。
だが。
カイル本人はまるで気にしていなかった。
ただ危ないから支えただけ。
それだけだった。
だから余計に駄目だった。
「ちなみに、私も同乗しております」
背後から静かな声がした。
「…………え?」
振り返る。
そこには、書類束を抱えたクラリスが立っていた。
今日も完璧な無表情だった。
「記録補佐、および演習管理補助として同行いたします」
「聞いてません……」
「今お伝えしましたので」
「そういう問題じゃありません……!!」
「エルマ」
クラリスが静かに言う。
「本日、朝から既に七回赤くなっております」
「数えてたのかよ」
カイルが素で笑う。
やめてほしい。
本当に。
「業務ですので」
「やめてくださいぃ……!!」
馬車の中へ乗り込む。
揺れる車内。
狭い空間。
逃げ場のない距離。
向かいには、普通にこちらを見るカイル。
近い。
近い。
近い。
無理。
しかも隣には、完全に面白がっているクラリス。
終わった。
本当に。
外では次々と馬車が動き始めている。
車輪の音。
馬の足音。
遠ざかっていく学院の門。
王立騎士学院・合同演習。
それは本来なら、学生達にとって成長のための実地訓練のはずだった。
だが。
エルマにとっては違う。
これはもう。
精神耐久演習だった。
馬車がゆっくりと走り出す。
そしてエルマは、静かに悟る。
――たぶん今回の演習、自分は生きて帰れない。
お読みいただきありがとうございます♪
☆☆☆☆☆を★★★★★にして頂くと、モチベーションが爆上がりします。




