第12話 感情を否定しないでください
深層領域は、静かだった。
青白い光だけが、巨大空間をゆっくり流れている。
床へ刻まれた多重術式。
幾重にも重なる古代文字列。
中央には、“第一管理塔”の紋章。
その前で。
エルマは、人生を諦めた顔をしていた。
「…………」
終わった。
本当に終わった。
十年以上隠してきた感情が、遺構によって強制上映されたのである。
しかも本人の前で。
本人がいる前で。
死ぬしかない。
――第二試験を続行します。
「まだあるんですか……」
床へ突っ伏したまま、エルマが呻く。
管理精霊は無慈悲だった。
――精神感応系術式において、感情制御は最重要教育項目です。
「教育って言い方やめてください……」
――第一文明において、感情は術式制御核でした。
――庇護。
――信頼。
――愛情。
――共感。
――それら全てが、術式制御へ利用されていました。
静かな声だった。
だが。
その内容だけは、妙に重い。
カイルが腕を組む。
「……つまり」
「?」
「エルマが暴走してると、遺構も暴走するってことか?」
――概ね正解です。
「暴走してません!!」
エルマが即座に叫ぶ。
クラリスの羽根ペンが走った。
さらさらさら。
「本日四回目の現実逃避を確認」
「数えないでください……!!」
――候補個体。
――問題は感情そのものではありません。
エルマが止まる。
青白い瞳が、静かに彼女を見ていた。
――感情の否定。
――認識拒否。
――自己抑圧。
――それらが波形乱れを発生させます。
静寂。
エルマが、小さく息を呑む。
――よって。
――感情認識試験を開始します。
「嫌な予感しかしません……」
――候補個体。
――対象個体への感情を認識してください。
「うわぁぁぁぁぁぁ!!」
エルマが崩れ落ちた。
「直球!!」
「いや今更だろ」
カイルが普通に言う。
「今更じゃありません!!」
全部今更にしたくなかった。
十年以上。
ずっと隠してきたのだ。
なのに今、
古代遺構が全力で暴いてくる。
最悪である。
――認識拒否を確認。
――術式不安定化。
ゴゥン……
空間全体の術式光が、ゆっくり揺らぐ。
床の光が乱れた。
カイルが眉を寄せる。
「……ほんとに連動してんのか」
――はい。
即答だった。
――候補個体は高感応適性者です。
――感情波形が直接術式へ影響します。
「……つまり」
クラリスが静かに補足する。
「エルマ様が“好き”を誤魔化すほど、遺構が不安定化するようですね」
「言い方ぁ!!」
エルマが涙目になる。
管理精霊が続けた。
――第一文明は、感情を否定しませんでした。
――感情を理解し、制御しました。
その瞬間だった。
空間の奥。
青白い光が、ゆっくり揺れる。
そこへ浮かび上がるのは、いくつもの感情波形。
誰かを守ろうとした記録。
誰かを失いたくなかった記録。
抱き締めるような結界。
庇うための盾。
優しい光。
「…………」
エルマが、少しだけ顔を上げる。
管理精霊の声は、どこまでも静かだった。
――しかし。
――感情へ呑まれた時。
――術式は暴走しました。
空気が変わる。
一瞬だけ。
青白い光の奥に、“崩壊した都市”のような幻が見えた。
砕けた塔。
暴走する光。
泣いている誰か。
守ろうとして。
壊した。
そんな残滓。
カイルの表情が、少し変わる。
「…………」
今まで、よくわからなかった。
遺構。
同期。
感情波形。
全部意味不明だった。
でも。
一つだけ、理解できる。
ここは。
誰かが、“間違えた後”の場所だ。
だから。
同じことを繰り返さないために。
エルマへ、教えている。
――候補個体。
――感情を否定しないでください。
静かな声だった。
その瞬間。
エルマの胸が、少しだけ痛くなる。
「…………」
否定しない。
そんなの。
簡単じゃない。
だって。
十年以上。
ずっと隠してきたのだから。
好きだなんて。
そんなもの。
言えるわけがない。
「……エルマ」
不意に。
カイルが名前を呼ぶ。
「っ……」
反射的に肩が跳ねた。
やめてほしい。
今その声は危険すぎる。
カイルは少し困ったみたいに頭を掻く。
「……なんつーか」
珍しく、言葉を探していた。
「正直、まだ全部はわかってねぇ」
「…………」
「でも」
カイルが、エルマを見る。
真っ直ぐだった。
昔からずっと。
この人は、こういう目をする。
「そんな隠すほど悪いことか?」
「っ……」
息が止まる。
「お前が俺のこと好きだったの」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
エルマがその場で蹲った。
無理。
直球。
無理。
だが。
否定の言葉だけは、出てこなかった。
違う、と。
勘違いです、と。
いつもみたいに誤魔化そうとして。
けれど。
喉が、動かなかった。
「…………」
好きだった。
ずっと。
昔から。
隠して。
誤魔化して。
見ないふりをして。
でも。
本当は、ずっと。
その瞬間だった。
パァァァァ……
乱れていた術式光が、静かに安定していく。
空間の震えが止まる。
青白い結界が、ふわりと三人を包み込んだ。
管理精霊が静かに告げる。
――感情認識を確認。
――同期安定。
「…………ぇ」
エルマが呆然と顔を上げる。
青白い光は、今までよりずっと穏やかだった。
優しいくらいに。
――制御成功です。
クラリスが、静かに手帳を閉じた。
「なるほど」
「何がですか……」
「第一文明は、“感情を消す”のではなく、“受け入れる”方向へ進化した文明だったようですね」
――はい。
管理精霊が頷く。
――感情は、力でした。
――故に。
――最も慎重に扱う必要がありました。
静かな言葉だった。
でも。
その奥に、滅びた文明の後悔が、少しだけ滲んでいる気がした。
静かな光だった。
青白い結界が、ゆっくりと空間へ溶けていく。
先ほどまで乱れていた術式も、今は穏やかに脈打っていた。
――感情認識工程、正常終了。
エルマは、その場へへたり込んでいた。
「……もう帰りたい……」
「無理だろ」
即答だった。
やめてほしい。
その自然な返しが一番心臓に悪い。
クラリスは静かに頷く。
「ですが、非常に有意義な教育でした」
「私だけ致命傷なんですが……」
「感情抑圧傾向の改善を確認しました」
「診断結果みたいに言わないでください……」
カイルが吹き出す。
「ははっ」
その笑い声が響いた瞬間だった。
――次段階教育条件、達成。
空気が変わった。
全員が止まる。
管理精霊の瞳が、ゆっくり深層部へ向く。
ゴゥン……
今までより、さらに重い振動。
深層領域の奥。
閉ざされていた巨大扉へ、青白い光が走り始める。
複雑な封鎖術式。
幾重にも重なる古代文字。
その中央。
今まで見えていなかった紋章が、ゆっくり浮かび上がった。
エルマの顔色が変わる。
「……うそ」
「何だ?」
カイルが振り返る。
エルマの指先が震えていた。
頭へ、また情報が流れ込んでくる。
教育領域。
外縁区画。
管理補助層。
そして。
その奥。
“中枢”。
「……待って」
エルマの声が震える。
「今までの場所……まだ入口だったんですか……?」
――はい。
管理精霊が静かに答える。
――現在地点は、第一管理塔・外縁教育領域です。
静寂。
カイルが眉を寄せた。
「……外縁?」
「じゃあ、奥は何なんですか」
クラリスが静かに問う。
その瞬間だった。
『――まだ、来る者がいたのですね』
声。
全員が止まる。
今までの管理精霊とは違う。
もっと静かで。
もっと“人間らしい”声だった。
エルマの呼吸が止まる。
カイルが反射的に剣へ手をかける。
金色の光が、扉の奥でゆっくり揺れていた。
まるで。
誰かが、ずっと向こうから待っていたみたいに。
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