29.異常
教師から、小さな鍵を渡された。
見た目に反して、ずっしりと重い。
これは、結界の管理装置を動かすための、特別なキーだ。
「頼んだぞ」
短い言葉に頷き、踵を返す。
迷いはない。
走りながら、意識を研ぎ澄ませていく。
……管理装置。
あの夜と同じ場所。
なんか……嫌な既視感があるな……。
扉の前に立った瞬間、その予感は確信に変わった。
空気が重い。
淀んでいる。
鍵を差し込み、解錠する。
中へ踏み込んでいく。
暗い。
そして……
「……やっぱりか」
装置の周囲で、影のようなものが蠢いていた。
黒い靄。
粘つくような魔力の塊。
ただの闇ではない。
明らかに制御を失った、暴走状態の闇魔法だ。
放っておけば、結界全体に影響が出るな。
……状況は理解した。
なら、やることも一つだ。
闇魔法を止める方法。
それは……
「……蝕魔」
静かに唱えた。
影が広がっていく。
黒が黒を喰らう。
蠢く影が、まるで引き寄せられるように集まってくる。
これは、魔力を吸収する魔法だ。
この魔法は、とにかく制御が難しい。
一歩間違えれば、自分ごと呑まれる。
そんな危うい均衡の上での魔法だ。
……やっぱり、重いな。
額にうっすらと汗が滲む。
だが、これくらいなら問題ない。
影は次第に薄れていく。
やがて、完全に消えた。
静寂。
さっきまでの異様な気配が嘘のように消え去る。
「……終わり、か」
小さく息を吐く。
拍子抜けするほど、あっさりとした解決だった。
怖いほど、順調すぎる。
嫌な感覚が、胸の奥に残った。
今までの相手の動きを考えれば、こんな単純な妨害で終わるはずがない。
ネロ先生は……一体、何を考えてるんだ?
その時だった。
ドンッ!!
轟音。
空気が震えた。
「っ!?」
反射的に顔を上げる。
今のは……闘技場の方向。
「……チッ」
嫌な予感が、確信へと変わる。
すぐに駆けていった。
廊下を抜け、外へ。
そして闘技場へと戻る。
目に飛び込んできた光景に、思わず息を呑んだ。
「……なんだ、これ」
結界が黒く染まっている。
どす黒い闇が、膜全体に広がり、脈打つように蠢いていた。
あの時と同じだ。
武闘会の時の、あの異常な結界。
「中には誰かいますか!?」
近くにいた教員に聞いたところ……。
「……今は誰もいない! 全員退避済みだ!」
「……わかりました」
それなら、最悪の事態は避けられている。
中に誰か閉じ込められたりしていたら、どうしようかと思ったが。
……しかし。
安堵した、次の瞬間。
結界の形が変わった。
「なっ……」
黒い膜が歪み、突き出す。
それは、触手のような形をとり、観客席へと、襲いかかった。
「きゃあああああっ!!」
悲鳴が響き渡る。
混乱。
怒号。
場は一瞬で地獄絵図になった。
「全員、結界の抑制に回れ!!」
教師の声が聞こえた。
そうだ。
俺たちで何とかしないと……。
だが、触手の動きは速い。
早くしなければ……。
「……黒影!」
影が刃となり、振り抜かれる。
迫る触手を、真横から断ち切る。
黒い塊が霧散した。
だが、触手の数は多い。
次々と生えてくる。
切っても、切っても。
終わらない。
「……なら!」
一歩踏み込み、手をかざした。
「……蝕魔!」
結界に絡みつく闇へ。
吸収。
削ぎ取るように、奪う。
触手の動きが鈍った。
「今だ、押さえろ!!」
教師たちも動いた。
各属性の魔法が飛び交い、触手を抑え込んでいく。
このままいけば、うまく押し切れる。
さらに魔力を込めた。
闇を喰らい、削り、消し去る。
時間にして数分。
だが、体感ではそれ以上にも感じられる攻防の末……
ついに。
結界の黒が、完全に消え去った。
静寂が戻る。
触手も、キレイさっぱりなくなった。
「……はぁ……」
大きく息を吐く。
周囲でも、安堵の声が漏れていた。
どうにか抑え込めた。
だが。
……やっぱり、おかしい。
あっさりとしすぎている。
今までのことを考えたら、この程度で終わるはずがない。
そして、このタイミング。
なぜ、俺が管理装置に行ったタイミングでやるんだ?
最初から一気にやればいいのでは?
……おかしい。
どこか決定的な違和感を感じる。
……まるで、誰かに誘導されているかのような。




