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二十一 許されざる者③

 マキはクリスタルの灰皿を大きく振りかぶって、僕の頭を狙って落としてきた。


 覚悟を決めたと言っても死に瀕しては生物が必ず起こす反射行動、つまり慌てた僕はソファから転げ落ちるようにして飛びのいた。

 結果として、クリスタルの灰皿は僕が数秒前までいた地点を直撃した。

 そして、安心する間もなくティーテーブルとソファの間に落ちている僕が身動きが取れないことに気が付いた時、マキは僕の視界の中で赤く弾けて左方向へすっ飛んで、僕を挟んでいるソファを超えて落ちて行った。


「くそ女が。死んで当たり前なら、てめぇが一番死んで当たり前だなぁ。」


 稲垣は手にマキが持っていた灰皿を持っていた。

 血にまみれたガラスの塊に、僕は何が起きたのか簡単に想像がついたが、操り人形になったかのようにゆっくりと身を起こしてから、殴り飛ばされたマキがいるはずの僕が座っていたソファの背の後ろを覗いた。


 生きている証拠か彼女はびくびくと手足を痙攣して動いており、僕は自分の責任で第二の殺人が起きなかった事にほっと息を吐きだした。

 しかし、僕の状況が好転どころではなく、これから暗転に向かうのは確実だが。


「ばばあに殴られてたてめぇがばばあを殺したんだ。正当防衛だよ。良かったな。いや、孫殺しと糾弾している最中だろ。正当防衛にはならないで過失致死かねぇ。」


「違います。あなたが殴ったんだ。早く病院に電話してあげて。」


「電話したって助かんないよ。」


「助ける気が無いだけですね。金村君みたいに。彼女にはしないんですか。金村君の背中はあなたが蹴りましたよね。そのオーダーメイドのイタリア製の靴で。」


「きゃう!」


 イタリア製の靴で右脛を踏みつけられたのは僕だった。

 脳天を直撃する激痛に僕はぎゅうと目を瞑ったら、次の激痛が頭頂部で起きた。


「いたい!」


 髪の毛を鷲掴みにされ、頭を持ち上げられて上を向けば、相貌に怒りを宿している稲垣の顔である。

 先ほどまでの柔和な顔とは違い、これが本性だという獣の顔だ。


「おめぇはよ、これからは俺の言った事に、はい、いいえ、で答えてりゃあいいの。わかるか?」


「この、ひとごろし、ひとごろし、ひとごろし!」


 僕の頭の皮が剥がれるほどの力を込められ、僕はその激痛に声も出ないまま天井を見上げさせられた。続いて僕の喉を掴んだのは、稲垣の大きいが乾燥した節くれだった指だ。


「はぁ!」


「おめえはなんて美人さんなんだろうな。俺がちぃと楽しんでから、うちの売り物にしようかと考えたが、ろくでもねぇ事しか言えねぇ口は閉じといた方がいいよなぁ。」


「ぐぅ。」


 頸動脈を抑えられたら数秒で人は意識を失うという。

 僕の見上げた天井は赤黒い膜を張り、まるで、まるで、あの日の僕の見た情景だ。


 透明なプールの底。

 押さえつけられた僕は最後の息を吐く。

 真っ赤な吐息だ。

 空気を求めて破裂していく肺胞によって、僕の肺は僕の血で溺れてもいたのだ。

 僕の口から流れ出た血は、透明な水を赤く染め、僕の視界をも赤黒く染め上げた。


 僕はそこで死んだのだ。

 今度も死ぬのか?

 どうして殺されるの?


「オコジョ。お前は俺達の言う事を聞いていればいいから。」


 オコジョ?それは僕のあだ名?


「そうそう。大丈夫。絶対に怪我はさせないよ。俺らの大事なオコジョらっけね。」


 僕は気に入らない人間がいるからと彼らに相談し、僕のくだらない頼みを請け負ってくれたのは、色白で背がひょろ長い僕の大事な兄達だ。

 彼らは空を飛ぶことばかりを夢想している一族の変わり種でもあるが、一族そのものだとも言われている一族の期待の星でもある。

 そんな彼等は鏡合わせのような同一の動作でお揃いの狐の面をかぶると、ゲームの特殊部隊の一員のように僕に親指を立てた。


 双子のような彼らは僕よりもずっと年長だからか、僕を弟のように可愛がっている。

 でも、だからといって、僕と同い年の子供を嚇すような人間ではない。

 道理のある彼らが僕の願いを聞き入れたのは、相手が彼らと同じ年で、そいつが僕を転ばせただけでなく、転がった僕の腹までも蹴ろうとしたからだ。


 もちろん僕が蹴られかけたその場では、僕がそいつに痛めつけられるどころか、その場にいて目撃していた双子達によってそいつこそが徹底的に殴られていた。


 ただ殴られただけではない。


 彼等はとても悪どいので、そいつは見えない所ばかりを痛めつけられたのである。


 そんな目に合った少年が、そもそもの原因である僕を憎まないわけがない。


 彼はその後は様々な嫌がらせを僕に仕掛けてきたのだ。

 僕の大事なパパの手紙を隠したり、届かなくさせたり、僕との約束を破らねばならない何かを引き起こしたり、だ。


 でも、そんなことをされなくとも、僕だって最初から峰雄が大嫌いだった。


 孝継が弟を愛するのはわかるが、親子の名乗りを上げたのならば、彼は僕を一番に可愛がらねばいけないのだ。

 峰雄に関する全てを詳らかにして、孝継が愛する橋場家四男と言う存在を橋場家から排除するのだ。


 七歳の僕はそう考えた。


「お願い。あの峰雄を橋場から追い出して。僕は彼が大嫌いだ。」


 計画は簡単だ。

 僕は真実を「橋場」に告げると峰雄の耳に囁くだけだ。


「君が橋場の子供じゃないっていう君の秘密を埋めたんだ。明日の朝九時から解体する大きな廃墟。知っているでしょう。パパが壊すのを楽しみにしている廃墟だよ。壊す前に内覧ぐらいするだろうね。」


 峰雄は僕を叩いた。

 僕は頬の痛みに泣き喚き、彼は泣いている僕を抱え、兄の振りをしてタクシーを使って僕を僕の目的地へと連れて行ったのだ。

 僕が埋めた秘密を取り出すために。

 そこに僕が配した特殊部隊がいるとも知らないで。


 峰雄が壊れたのは僕のせいなのだ。

 人の人生を壊した僕は、同じくらいの落とし前を受けねばならない。

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