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二十一 許されざる者②

 僕は稲垣の殺気に脅えながらも稲垣を見返した。


「いいえ。付き合いは全くありませんでした。僕の言いたいことは、体の機能が完全に止まっても、脳は生きているって事です。脳が生きている限り、人間は死んでいないのだそうです。だから、目が開いている限り、意識がある限り、自分に起きた出来事を見聞きしているのです。」


「病院で一瞬でも蘇生したあいつとその時のことを話したと?嘘つきだな。あいつは路上で息絶えたんだ。あいつは完全に死んでいたよ。なぁ、マキ。」


 稲垣の声に、今まで置物のようであったその女性が、急に生気を吹き込まれたかのようにびくりとし、その動作に続いて椅子から立ち上がった。

 彼女の眼は脅えの色を浮かべながら、僕と彼女の支配者を交互に見比べている。


「あなた。」


「てめぇは、ちゃんと確認したよなぁ。大事な孫だからな。おめぇはその身に着けている宝石やら、服やら、マンションやら、手放したくないからって、大事な孫をその手で殺したんだよなぁ。ひでぇばばぁだぜ。」


 マキの怯えに彼女が稲垣の言いなりに全て実行したのだと僕に知らしめ、彼はハハハと軽く笑い声をあげながら再び僕に視線を戻した。

 笑い声とは違って彼の目は笑っておらず、親しみのある町の不動産屋のような柔和な笑顔の彼は、笑顔のまま僕に殺気を向けていた。


「嘘はいけねぇよ。お嬢さん。」


「渡世の義理も通せない人間はやくざとは言わないと、橋場のお爺ちゃんは言っていました。一度親子の名乗りをあげて杯を交わしたならば、それは親子だと。血の繋がりが無くても、自分が自分の子供だと認めたらそれは自分の子供だと。僕は血が全てと教育されてきたので、橋場のお爺ちゃんの言葉の意味がわからなかった。」


「何が言いてぇんだよ。てめぇはよ。」


「あなたは橋場のお爺ちゃんと違って、器のとても小さい人です。ただの外道です。」


 ばしんとすごい音が僕の頬で起こり、僕は物凄い痛みと衝撃をうけたそのままソファに転がった。

 僕を叩いたのは鬼の形相の鬼となった女。

 自分の生存権の為には、血を引いた唯一の孫でさえ手に掛けることが出来た女だ。

 他人の子で、彼女の立場を脅かす存在であるならば、彼女は平気で僕を殺すことが出来るだろう。

 僕は年齢よりも美しいだろうその女性を見上げたが、彼女の顔は僕にはぼやけている。

 なぜならば、黒い靄となって彼女の顔を覆っている邪魔な青年の手があるからだ。


「あたしが修平を殺したのは、お前が余計なことをしたせいだ。黙れ。」


「僕は何もしていません。夫も娘も孫さえも、裏切ったのはあなたでしょう。」


 振りかぶる様にして大きくしならせてた右手で、孫殺しの女は僕を再び叩いた。


「お前に殴られる人間の気持ちがわかるか!」


「わかりますよ!あなたと僕は同じ卑怯者だ!被害者という立場の加害者なんです。あなたは被害者だからって事を免罪符に、夫を裏切って、裏切った結果の子供を育てさせた。僕は、僕は。」


 その先を僕が口にする前に、僕の周りで星が瞬き、鋭い痛みが鼻を突き抜けた。

 マキのこぶしが僕の眉間に入ったのである。


「あうぅ。」


 その一撃は高齢の女性らしく大した衝撃は無かったのだろうが、場所が場所だけに鼻血は出なくとも顔全体が痺れるほどの激痛で、僕は両手で顔を抑えて唸るしかできなくなり、自分自身の贖罪を語るどころではなくなった。


「畜生!何も知らないで!殺さなきゃねぇ、あたしが殺されるんだ。麗奈も言う通りに中条と結婚してりゃ丸く収まったんだよ。それをあんなサラリーマンを選んで。だからあのガキをこっちの世界でしか生きていけなくしてやったんだ。全部、あいつらが悪いんだよ。ガキもあの馬の骨も死んで当たり前なんだ!」


 僕は今度は顎に衝撃を受けた。

 下から顎を打ち払う感じで、マキに張り飛ばされたのである。

 僕は倒れていた逆の方向に今度は倒れこみ、自分は何をしているのだろうかと考える自分がいた。

 誘拐犯に脅えていればいいだけなのだ。

 おとなしく脅えて「知りません」を繰り返して、彼らに彼らの考えることを滔々と述べさせて時間稼ぎをしていればいいのだ。

 絶対に誰かが僕を助けてくれるし、そのために時間稼ぎをするならば、僕はできるだけ痛みを受けないようにすべきなのだ。


 でも、僕は罰を受けるために叫ばなければならない。


「酷い人だ!真っ当に生きてきた子供が学校を退学するように暴力団の跡目だって言い出したんでしょう。金村君は普通の子供だったのに。あなた方がわざと壊したんだ。」


「うるせぇよ。大事な娘だって可愛がってきたのによ、俺と血が繋がっていねぇって、誇らしそうに報告してきたアマのガキだ。最初に言っただろ、落とし前はつけねぇとねって。」


 稲垣の楽しそうな声にマキの手はピタリと止まり、僕を痛めつける彼女の邪魔をしないようにかソファから立ち上がっていた稲垣へと彼女は振り返っていた。


「あんた。麗奈には手は出さないって。」


「そうだな。お前は麗奈が一番大事だが、俺は修平よりも麗奈の方が問題でよ。母親に息子を殺されたことも知らねぇで、麗奈はお前の落とし前をつけるって、俺に金を払うってね、いろんな仕事を体験中だよ。」


「あぁ、畜生!この!くそ女が!お前が!余計な事をしたお前のせいで!」


 マキは稲垣に騙され不幸に貶められた落とし前を僕に求めることに決めたようで、僕を再び殴りつけはじめ、顔を抑えて丸まっている僕の背中や頭を、殴り、叩き、掴みと、僕を傷め付ける手を止めようとしない。


「はう!」


 僕の声が上がったのは、背中に受けたマキの殴打が突然重いものに変わったからだ。

 あまりの痛みに肺の息は吐きだされ、口中で鉄の味が滲んでいた。


「血?」


 何が起きたのか痛みに呻きながらマキを見上げると、彼女はクリスタルの灰皿を両手で持っていた。

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