二十一 許されざる者①
目の前の老人はやくざというには柔和な顔立ちで、彼は組長と紹介されるよりも百貨店の外商部のセールスマンと紹介される方がしっくりするような気がした。
そして、僕を誘拐した方法はとても強引であったが、いざ彼の事務所に押し込められれば、なぜか客人としての対応だ。
最初から招待状を持って現れたのならば、僕は彼に同情し、彼のために沈黙という選択肢も取ったかもしれない。
そこまで僕が彼に肩入れしてしまったのは、稲垣泰司が金払いが良さそうだという、その一点に尽きるのかもしれない。
彼の事務所がヤクザ事務所に見えないのは、例えば、彼の書斎机らしい大きなオーク材のデスクも、僕が座らされている応接セットの一つである長椅子も、それなりの店で買ったと一目でわかる癖のない高級品なのである。
それなりと敢えてつけるのは、我が武本物産が用意する家具に敵うものは無いだろうという自負の表れである。
孝彦の家具は素晴らしすぎてまだ売れないが、世界には素晴らしい家具の工房がまだ存在しているのである。
武本はその工房の品をいくらでも用意できるのだ。
買い手が金に糸目をつけなければ、という条件が必要だが。
また、武本は家具どころか小道具だって最上のものを用意できる。
だからこの部屋を見回して、本当に残念だと溜息を吐いたのは仕方が無いだろう。
壁には有名画家のナンバー付きのコピー。
絨毯は色柄がぱっとしないがデンマーク製の高級製品だろうし、応接セットのティーテーブルには昔懐かしいクリスタルの灰皿まである。
本当に残念だ。
彼に物の価値がわからないのは一目瞭然だが、自分をよく見せると考える物にはいくらでも金をかけれるのであれば、我が武本物産が物を見る目さえも磨いてやれるのに。
彼が僕の敵対者でなければ、という前提であれば。
僕は僕の斜め対面に座る僕を誘拐した敵の一人であるが、遺族でもある女性にぺこりと頭を下げた。
白地に黒い模様の獣柄のアンサンブルをオリエンタルブルーのワイドパンツに合わせている女性は、いわゆるコスチュームアクセサリーという偽物だが煌びやかでゴテゴテしいアクセサリーを首にも手首にも飾っている。
派手派手しいの一言の装いであるのに、彼女から受ける印象は老婆でしかない。
疲れて膿んだ表情が華やかな顔立ちに影を落としているからだろう。
派手な格好と対照的に、黒いカシミヤの大判ストールを体に巻き付けているのは、彼女が喪に服したいと心のどこかで願っているからであろうか。
僕が彼女から受ける印象は、トロヴァーレというオペラのアズチェーナだ。
母親が魔女として火刑に処せられた怒りのまま、復讐すべき伯爵の子供ではなく我が子を間違えて火にくべてしまった許されざる女。
「君が孫に襲われた事は知っている。襲われた事を考えればああいう復讐方法もわかるが、君は結果を考えていたのだろうか。人を殺すという事は、その結果も派生した恨みも買う事になるんだよ。君はその落とし前をつける覚悟はあるのかな。」
僕の視線を女から引きはがしたのは、今まで自分の大きなデスクに納まっていた稲垣であり、彼はそこにいれば威圧感を継続できたのに、好々爺のように歩いてくると僕の目の前のソファに腰を下ろした。
彼は僕が連れ込まれた時と同じように、僕の痣まみれの顔からつま先まで舐めるような視線を這わせている。
僕は彼の視線から逃げる様に少し身をよじり、でも、身を縮める際に両手を胸に押し付ける様に組んだことで、僕は少し力が湧いた。
逃げてはいけないのだ。
「あなたこそ、僕を誘拐して僕を脅したことへの覚悟はあるのでしょうか。」
「君は見た目と違って大した玉だったわけだ。」
稲垣は僕の言葉に嬉しそうな声で笑い声をあげ、僕の耳の後ろも僕を激励しているようにごつごつと振動が響いた。
僕はごくりと唾を飲み込むと、僕自身の覚悟を決めて、稲垣を見返したのだ。
「だって僕はあなたの孫の殺人事件には関係ないもの。僕はコートを彼に盗まれただけの被害者です。僕のコートだって本当は関係ない。だって、金村君を殺した人は金村君を殺したかった人です。あなたは金村君の死の真相を知っているんでしょう。それなのに、罪もない僕に罪を被せるのはなぜですか?」
「孫を殺した真相は、俺の孫が君のブログに感化された馬鹿に刺されたって事だ。」
「違うでしょう。大体、あのブログは僕を嫌っている女性が作ったものです。彼女も殺されましたが。」
「だから君には何の罪も無いと?君という存在が犯罪を引き起こしたんじゃないのか。」
「違います。」
「よく言いきれるね。」
「知っているからです。金村君は僕に知り合わなくても、僕という存在がこの世にいなくても、別の理由を作って殺された筈です。」
「何を知っている?」
稲垣のにこやかなだけの作り笑顔に殺気が漲り、彼の隣に座っているアズチェーナがびくりと体を震わせた。
僕も脅えるべきであろうが、僕は彼のおかげで本当に怖い殺気を発せられる人を思い出したので、体も口も怯えで固まることは無かった。
「――僕が知っているのは金村君が最後に見た景色です。あなたは知らないかもしれませんが、僕は彼からその景色のことを受け取りました。」
「どういうことだ?」
稲垣は僕を威嚇するためにか、大きな手をティーテーブルに打ち付けて大きな音を部屋中に轟かせた。
そして、音とともに彼の抱える殺気を僕に一気に放ったが、その行為で見せた彼の粗暴さを、彼は再び自分の柔和な仮面の中に一瞬で隠しこんだ。
「修平は何を見たと言ったんだ。あいつは携帯も何も持っていなかっただろう。即死、そう、俺は即死だったと聞いているよ。嘘はいけないねぇ。それともあいつと君は付き合っていて、生前のあいつから何かを聞いていたのかな。」




