第五話 リサの苦悩
―リサ視点―
私たちは一緒に学園へと向かう。
私はお兄様の車椅子をゆっくりと押していた。周囲から好奇の目を向けられている。やはり、この特注の車椅子は珍しいらしい。
私のお兄様を、そんな目で見ないで。心の中でそう叫びながらも、あえて気にしないふりをして歩いていく。
こちらが反発すれば、周囲の者たちはますます私たちに注目するだろう。私のお兄様は見世物じゃない。だからこそ、私は優雅に、自信のある佇まいで前へ進む。
この世界にはもう、私たちしかいない。そんなふうに考えながら、お兄様との楽しい会話を続けた。
「ついに入学式ですね」
「そうだね」
「お兄様、制服、とても似合っていますよ」
「そうかな。ありがとう。リサもとても似合っているよ」
「ありがとうございます」
お兄様は少し照れたような表情を浮かべた。いつもの、柔らかくて素敵な笑顔だった。
「おい、あれが入学試験首席のマモルってやつだろ」
「そうだぞ。五歳でケルベロスを討伐した天才様だ」
「でも、もうほとんどの魔力を失っているっていうじゃないか」
「幼き英雄様か」
「親たちはすごいって言ってけど、俺たちは知らねぇからな。ただのラッキーだろう」
「そうそう、今はどうせ親の七光りだろ」
「よかったよな。庶民のくせにグリーンベルク様に認められて、養子にしてもらえて」
「同情とはいえ、さすがグリーンベルク様だよな。王国最強の魔導士だ」
「しょせん、あいつはかつての神童だ。グリーンベルク様を超える魔導士にはなれないさ」
思わず足が止まった。ひどい言葉だった。何も知らないくせに。私のお兄様の、本当の実力を知らないくせに。
どうして、こんなひどいことが言えるのだろう。お父様はいつも言っていた。
「もしマモルが普通に育っていたら、もう私の実力など遥かに超えたところにいただろう。お前たちを守れなかったことが、一生の後悔だよ」
王国最強の魔導士に、そこまで言わしめる人なのだ。だからこそ、まだ十代のお兄様に嫉妬の目を向ける者もいるのだろう。私が足を止めたことに、お兄様は気づいたらしい。
「リサ、気にしなくていい」
「でも……」
私は車椅子の手すりを強く握りしめた。お兄様が馬鹿にされていいわけがない。そんなこと、許されるはずがない。入学試験だって、お兄様はお父様の力など一切借りていない。自分の実力だけで、試験官たちを黙らせた。実技も座学も魔力試験も、すべて首席。
次席だった私を遥かに上回る、圧倒的な技術と知識。それでも……もう二度と、かつてのような力を取り戻せない。そう考えるたびに、私は自分の犯した罪を思い知らされる。
「いいかい、リサ。僕は最強の魔導士になることになんて興味はないんだ」
お兄様は穏やかに言った。
「それよりも、昨日みたいに家族みんなで楽しく食卓を囲めるだけで幸せなんだよ。僕はそれ以上、何もいらない」
そして、いつものように微笑む。
「こうなったことだって、僕は誇らしく思っているんだ。家族や幼馴染を、ちゃんと守ることができたんだからね」
私を戒めるためなのだろう。お兄様はいつも以上に優しい声で言ってくれた。思わず、その場に崩れ落ちそうになる。どうして……どうして、こんなに優しいお兄様が、こんなひどい目に遭わなければならなかったのだろう。
そう思うほど、胸の奥の絶望が深くなっていく。
「あなたたち、マモルに対して何を言ってるの?」
私ではない女性の声が、陰口を叩いていた男たちの背後から響いた。
ミランダさんだった。
彼女も私と同じように、お兄様の状態を悔やみ続けている。
「いや、その……冗談で……」
「冗談だったら、言っていいことと悪いことの区別もつかないの?」
ミランダさんの怒りは収まらない。
「次にそんなことを言っているのを見たら、絶対に許さないからね」
いつもの柔らかな彼女からは想像もできないほど、ドスの利いた低い声だった。男たちは青ざめ、一斉に逃げ出していく。王国でも指折りの名門貴族である彼女を敵に回すことだけは、絶対に避けたいのだろう。
この学園には、貴族社会の縮図という側面もある。
下手にミランダさんのような大貴族に逆らえば、最悪の場合、退学に追い込まれることさえあり得る。それほどの不名誉はない。
「おはよう、二人とも。今日もいい天気ね。馬鹿な連中もいるみたいだけど」
先ほどまでの怒気が嘘だったかのように、ミランダさんは笑った。
「おはよう、ミランダ。ありがとうね、僕のために」
「当たり前じゃない。あなたがしてくれたことを考えれば、むしろこれくらいじゃ足りないくらいよ」
お兄様は、幼少期に持っていた圧倒的な魔力を失い、世間から失望された。だから、さっきのように露骨に馬鹿にしてくる人もいる。
そしてお兄様は、何を言われてもいつも優しく笑っているだけだった。
だから余計に、愚かな人たちをつけあがらせてしまう。
魔力の半分を失った今でさえ、並の魔導士など遥かに凌駕しているというのに。
それでも世間から見たお兄様は、勉強はできても魔力の才能を失ってしまった『悲劇の神童』なのだ。
失った才能への悲しみを埋めるため、チェスに没頭している――そんな噂まで流れている。
でも、違う。
きっとお兄様は、失ってしまったものを補おうとしているのだ。魔力の代わりに、チェスをする。勉強をする。知識を身につける。だからこそ、あんなにも努力できるのだと思う。
足のリハビリをしていたときだって、お兄様は一度も諦めなかった。医者が匙を投げても、
「せめて、自分の身の回りのことくらいはできるようになりたい」
そう言って、必死に身体を動かし続けた。本当は痛くて、苦しくて、つらかったはずなのに。それでもお兄様は、いつも私に優しくしてくれた。
「リサは大丈夫? 何か心細いことはない?」
そうやって、いつも私のことばかり心配してくれた。でも、一番助けが必要だったのは、お兄様だったはずなのに。私はずっと、彼に劣等感を抱いている。
一番助けが必要だったときに、私はお兄様を助けることができなかった。それどころか、助けられたのは私のほうだった。どうして、そんなことが許されるのだろう。
だから私は、一生をかけて償わなければならない。私のお兄様に。




