第三十一話 聖女
大聖堂の隣にある一室で、私は珍しく聖女様に呼ばれた。
聖女様はベッドの上で体を起こしながら、私に笑いかける。
もう八十歳を超える高齢ながらも、その笑顔にはとても清らかなものがある。まるで少女のように純粋な笑顔だった。
こんな汚れた私が聖女様の前に立つことに、どうしようもなく罪悪感を覚えてしまう。
「リサ、いつもありがとうね」
体は弱っているはずなのに、聖女様の声はとても柔らかかった。
その優しい響きが私の心に突き刺さる。
「お体、大丈夫ですか?」
私がそう確認すると、彼女は笑う。
「ええ、あなたのおかげでとても楽だわ。リサはとても努力をしているのね。私があなたと同じ年頃だったら、そんなに努力はできなかった。あなたはとても素晴らしい聖女になるわ。もしかしたら歴代でもトップクラスの聖女様になるかもしれない」
そう言ってくれることに、やはり罪悪感を覚える。
私の心の奥にあるのは復讐心だ。
それを押し殺して、私は聖女になろうとしていた。
「リサ、あなたは真面目すぎる。それが一つだけの弱点ね」
「弱点ですか? 真面目なことはいいことではありませんか?」
私がそう反応すると、彼女は「若いわね」とでも言うように笑い、答えてくれた。
「間違いなく美徳の一つよ。でもね、あなたは自分の汚れにも敏感すぎる。普通の人であれば、それを汚れだと感じていないはずなのに、あなたはそれを汚れだと感じてしまう。自分の心に厳しい。厳しすぎると言ったほうがいいのかもしれないわ。私が何を言いたいのか、よく分かるでしょう?」
思わずぎくりとしてしまった。
初めて心を見透かされていると思った。
お父様にもお兄様にも絶対に見せないようにしていた心の黒い部分が、よりによって聖女様の前では暴かれていたなんて。
「違うんです……」
このままだと聖女になれないと思って、私はそう否定しようとする。
しかし、聖女様は笑った。
「大丈夫。心に弱さがあることも、あなたの目的が本来許されない感情から生まれていることも、よく分かる。でもね、リサ。これだけは覚えておいてほしいの。確かにあなたの始まりは、負の感情だったのかもしれない。そして、あなたは優秀な子なんだわ。それを自分では許せないと思ってしまうこともよく分かる。でもね、生きるというのは、その弱さとの戦いでもある。私はそう信じているわ」
「弱さとの戦いですか?」
「そう。私たちには常に弱い心がある。たぶん歴代の聖女様も、みんなどこかしらで弱さを見せていたはず。でも、彼女たちは前に進むことをやめなかった。あなたもそう。あなたは確かに心が怒りに支配されている。でも、その怒りが悪への道に繋がっているわけではない。怒りの感情をうまく利用しながら、あなたは自分の善性をより高度な次元に高めようとしている。それはある意味で、一番善なる心ではないのかと私は思う」
少し哲学的で、それでいて無邪気に私を肯定してくれる言葉に、胸がざわついた。
「善人、悪人に関わらず、行けるものなら天国に行きたいと願うものよ。でも、善人であれば、自分が天国に行けると考えてしまっているかもしれない。そして、それは本当にそうなのかもしれない。でも、どうしようもない悪人こそ、自分は本当に天国に行きたいと信じ込んでいる。そして、それを熱心に祈っている。それってとっても矛盾しているし、でも、それでいてとっても信仰的でもあると私は思う」
聖女様は穏やかな声で続ける。
「あなたは弱いということが分かる人間なの。弱かった自分を否定しようとしている。でも、否定できないからこそ苦しい。ここからさらに難しいことが起きるかもしれないわ。そのとき、あなたの弱さはどちらへと向くのか。善なのか、悪なのか。私はそれが善のほうに向いてほしいと願っている。そして、その極限の状態で、あなたが善の心で動くことができるならば、それは本当の意味で、あなたが聖女としてふさわしいという証明になる」
少しだけ眠たげに、聖女様はベッドへと潜り込もうとしていた。
そして、別れ際に一言だけ告げる。
「あなたは自分の悪を強調するあまり、自分の善性を捉えきれていない」




