第二話 幼馴染の苦悩
―幼なじみ・ミランダ視点―
私はいつものように、隣の家へと向かった。 そこでは幼なじみのマモルが、中庭でいつものようにチェスの本を読んでいた。
「おはよう、マモル」
「あ、おはよう。ミランダ」
マモルはチェスの本から顔を上げ、私に向かってにっこりと微笑んでくれる。いつもの優しい笑顔だ。
「またチェス? 勉強しなくていいの?」
彼は明日から、難関で知られる魔法大学の魔法科に進むはずだ。それなのに涼しい顔で、チェスの勉強をしている。なんともまあ、すごい頭脳だと思う……マモルは、私たちを守るために半分以上の魔力を失っている。
私も、邪神教団に囚われた子供の一人だった。私の父親は、この王国の名門貴族だ。その一人娘である私は幼いころから英才教育を受け、何不自由なく成長した。しかし五歳になったある日、突然、何者かに誘拐されてしまった。
なんでも邪神教団にとって、貴族の血は邪神を召喚するために必要だったらしい。だから私が狙われたのだ。邪神教団のアジトで、私は同い年くらいのマモルたちと出会い、仲良くなった。
マモルは妹のリサを守るため、大人を相手にしても一歩も引かなかった。いや、リサだけではない。私たち子供全員を守るために、彼一人が戦っていたように思う。
力だってほとんどない、ただの五歳児だったのに。それでも、そのあまりに頼もしい姿を見て、私たちは錯覚してしまったのだ。マモルは、自分たちよりずっと大人なのだと。
だから私たちは、彼に頼り切ってしまった。邪神教団のアジトで過ごした、ある夜のことを今でも覚えている。
私は怖くて震えていた。
それを見かねたのか、マモルが話しかけてくれた。
「怖いのかい? ミランダ」
まだ声変わりもしていなかったころの、彼の高い声。今でもはっきりと思い出せる。
あのときの私には、まるで天使の声のように聞こえた。
「うん、怖いの。私はどうなってしまうのかしら。このまま殺されてしまうのかしらって思うと、とっても怖いの」
「そうだよね」
震えている私に、彼は優しく手を差し伸べてくれた。
「マモル……私が殺されそうになったら、助けてくれる?」
彼は私を安心させるように、にっこりと笑った。
「もちろんだ。絶対に僕が君を守るよ」
あのとき私は、まるで物語に出てくるお姫様になったような気分だった。
だけど、その言葉は今では呪いになっている。
マモルは本当に私たちを助けてくれたからだ。たった一人で、教団が生み出した邪神の化身ケルベロスと戦った。
そして、魔力の才能と足の自由を失った。幼き英雄との二つ名と引き換えに……そして、大衆はすぐにその英雄を忘れ去ってしまった。
今でも思う。
あのとき、私があんなことを言わなければ、彼は一人で逃げられたのではないかと。
私たちという足手まといがいたせいで、彼は才能も、将来得られたはずの名声も、すべて失ってしまった。私たちのような凡才を助けるために。
「ねえ、マモル。今日はお散歩に行かない?」
「いつもありがとう。今日もお願いできるかな?」
「もちろん」
マモルは車椅子に乗っている。これは彼自身が作った特注品だ。自らの魔力を流し込むことで、少しずつ車椅子を動かせる仕組みになっている。けれど、その操作にはかなりの魔力を使う。
誰かに押してもらったほうが、彼も疲れずに済む。
だから私はいつもこの時間にマモルを散歩へ連れ出すことを、日課にしていた。街の人たちは、私たちをまるで許嫁のように扱っている。お父様も、私のために命を投げ出してくれたマモルのことが大好きだ。
命の恩人なのだから、それも当然だろう。東の国から伝わってきた「桜」という木が、美しい花を咲かせている。
春になると、私たちはいつもここを散歩する。
「今年も綺麗だね」
マモルが言った。
「うん。とっても綺麗」
マモルは、お父様の親友であるグリーンベルク様に引き取られ、その養子となった。
グリーンベルク家は私の屋敷から近い。だから私は、いつでもマモルに会いに来ることができる。もう十年近く一緒にいるのだから、世間から見れば幼なじみのような関係なのだろう。
でも、私にとってマモルは、ただの幼なじみではない。
もっと大切な存在だ。
命を投げ出してでも報いたい。
そう思ってしまうほどに。
どうして彼は、私たちのせいでこれほどの犠牲を払ったのに、愚痴の一つも言わないのだろう。いつもニコニコと笑っている。
魔力の才能を半分以上失っても、努力することをやめない。チェスだって、今では国内トップクラスのプレイヤーになりつつある。
本当に、努力ばかりしている。できることなら、一度くらい私に暴言を吐いてほしい。
『お前たちのせいで、俺は才能を失ったんだ』
そう言われたほうが、どれほど心が救われるだろう。
でも、マモルは決してそんなことを言わない。一度だけ、彼が泣いているところを見たことがある。
まだ小さかったころだ。たぶん、七歳か八歳くらい。
どれほどリハビリを続けても、足がまったく良くならなかったころだった。
彼は苦しそうに芝生の上に座り込んでいた。誰もいないと思っていたのだろう。
一人で、ぽつりと弱音を吐いた。
「どうして僕の足は動かないんだ……」
その言葉を聞いた瞬間、胸が締め付けられそうになった。全部、私たちのせいなのに。それなのに彼は、そのつらささえ一人で抱え込もうとしていた。
「いつもありがとう、ミランダ。君のおかげで毎回楽しい散歩ができるよ」
彼の言葉で現実に引き戻された。
「私もよ」
ゆっくりと、大切な時間が流れていく。私は今年から、魔法学校の貴族課程へ進む。貴族課程では魔法の勉強が少し減る代わりに、政治や経済、礼儀作法などを学ぶことになる。剣技もその一つだ。
貴族として、自分の身を守る術を身につけなければならない。
私はすでに、女剣士としてそれなりに名を知られていた。必死に剣を学んできたからだ。
今度は私が、マモルを守る。
私たちを守ったせいで身体が不自由になった彼のために、今度は私が盾にならなければならない。
そう決意していた。
そうでもしなければ、彼に報いることなんてできないと思ったからだ。私はマモルの背中を見つめながら、心の中で語りかける。
(ねえ、マモル。私のことを好きにしてもいいのよ。それほどのことを、あなたは私にしてくれたのだから……あなたのためなら、私は何だってできる。身体を差し出したって構わない。それなのに……どうしてあなたは、いつもそんなに優しいの?)
言葉にしたら消えてしまいそうな気持ちが、ゆっくりと彼へ向かっていく。
これは恋なのだろうか。
それとも、罪悪感なのだろうか。
私にはまだ、わからない。
愛情と償いの狭間で、私はいつも揺れている。




