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68話  捨てたはずの心。

 最近は、うとうと眠り続ける時間が増えていた。


 思い出すのはお母様と過ごした懐かしい日々。


 一緒にお庭を散歩したり本を読んでもらったりした。そして、その横には優しく微笑むお父様がいた。


『おとうさま!』お父様を見つけるとすぐに抱っこを強請るわたくし。


『おいで、ブロア』


 わたくしを抱きしめると、わたくしの頬に顔を擦り寄せてくる。


『おとうさまのおかお、チクチクしていたいわ』


『すまない、髭は剃っているんだがな』

 困った顔をするお父様。お母様と兄様はクスクス笑ってわたくし達を見ている。


 みんなでソファでくつろぎ、笑いながら過ごす時間。

 ずっと続くと思っていた。


 お母様の体調が悪くなってから少しずつ家族の空気が悪くなってくるまでは……


 お母様はいつも笑っていた。どんなに体調が悪くても。


 お父様はお忙しくてもお母様のために時間を作っていた。


 だけど……お父様はサマンサと浮気をしていた。お母様はそれに気がついていて、たまに寂しそうな顔をしていたのを思い出す。


 変わりゆく日々……


「ブロア様……?」


 わたくしが横になってずっと眠り続けているので、心配して顔を覗かせるのはウエラ。


「……あっ……夢を見ていたの」


 ーーもう忘れていた幸せだった頃の夢……


 もうなくなってしまったけど、幸せだった……






 別荘だという屋敷に来て、匿われてから二日。


 エイリヒさんも何度か顔を出してくれた。

 ミリナは今自分の自宅に帰っている。


 わたくし達のあの場面を見て子供心をどれだけ傷つけたか……会って謝りたい。そう思うのだけど、わたくしは身動きが取れない。


 それに、もう彼女を巻き込むことはできない。あのお父様は子供だからと容赦はしない。何をするかわからないので、エイリヒさんにもミリナとは今は会えないと告げている。


 わたくしがいる別荘は、エイリヒさんの従兄弟の別荘だと聞いている。


 だけど名前は聞かないで欲しいと言われた。

 私事で迷惑をかけているので、詮索することはできない。


 『お礼だけでもお伝えください』何もお返しすることができない無力なわたくしは頭を下げてお礼を言うことしかできない。でも、それすらできない今はエイリヒさんにお願いするしかなかった。


「巻き込んでしまってごめんなさい」

 わたくしの我儘に色んな人を巻き込んだ。


 大人しく実家の屋敷で死を待てばよかったのに……


 最後の我儘が……たくさんの人の人生を変えてしまった。


 先生やヨゼフの老後のゆっくりと過ごせるはずの時間を奪ってしまった。サイロやウエラのこれからの未来。


 エイリヒさんやミリナは全く関係ないのに巻き込んでしまった。


 騎士達だって、本来は宰相に逆らうことはしてはならないのに、わたくし達を助けようとしてくれている。



『海が見たい』


 夢は叶った。もういつ死んでもいい。


 だけど、今この状態でわたくしが死ねば、みんなはどうなるのかしら?


 罪人として捕らわれる?


 サイロはどうなっているの?


 今は先生の薬のおかげで体も楽になっていた。


「先生……ごめんなさい……兄様に手紙を書きたいの……兄様ならなんとかしてくださるかもしれない……わたくしの病状を伝えて、同情を引くつもり。今のわたくしにできることは少ないけど……死にゆくわたくしに少しでも情があれば……最後のお願いくらい聞いてもらえると思うの」


「ブロア様……そんなことはしないでください。わたしもヨゼフも別にアリーゼ国に帰らなくてもいいと思っています。この国でのんびりと暮らすのもいいかもしれないと思い始めているんです……医者に庭師、いくらでも働く場所はあります。サイロだってウエラだって、この国で探せば仕事はありますよ」


「でも……みんな家族がいるのに……」


「いつでも会えます。会いたいと思えば会えるんです。そして、ブロア様も嫌ならもう自分の父親とは縁を切ればいいのです。貴女から捨てればいいのです。硬く考えてはダメなんです」


「捨てる?ふふふっ……考えたこともなかったわ。逃げ出すことが精一杯だった……」


「ブロア様……よろしいのですか?」


「何がかしら?」


「………セフィル様のことです」


「セ…フィ…ル………?」


 何故?今更彼の名前が出てくるの?


「ずっと気づかないふりをしているつもりでした……」


「気づかない?」


「セフィル様のことを忘れられないのでしょう?」


「何を今更?もう彼とは終わっているわ。セフィルはリリアンナ様と幸せに暮らしているはずよ?」


「でしたら何故毎晩眠られている間泣かれているのですか?」


 ーーわたくしが泣いている?そんなことない……だって考えないようにしていたもの。


 思い出さないようにしてきたもの。


 ずっと必死で……海を見て死のう。


 それだけを考えて過ごしてきたもの。


「ブロア様……貴女は眠っている時だけ素直なんですよ。いつも『セフィル』と名を呼んでは涙を流されていました……今もまだ愛しているのでしょう?」


 ………愛してなどいないわ………もうすぐ死ぬわたくしが……彼を愛しているなんて……そんなこと言えるわけがないじゃない……………わたくしは決めたの………愛していたから……彼の前から姿を消すと決めたの。

 

 お父様はわたくしが死ぬことがわかれば無理やりセフィルと結婚させるわ……そして彼を公爵家に縛り付けてしまうわ……お父様はそう言う人よ……


 そう、絶対にお父様に知られてはいけない。


 わたくしは我儘でセフィルと婚約解消をしようとしているの。


 お父様にはそう思わせていればいい。


 セフィルには、幸せになって暮らして欲しい……


 その所為でみんなを巻き込んで犠牲にしてしまったけど……


 セフィルとはお互いあまり会話はなかったけど、二人でテーブルを囲い大好きな庭園で過ごす時間が好きだった。


 庭園を歩く時、セフィルが差し出した手にそっと手を置く。いつも剣を握る彼の手は見かけと違いゴツゴツしていて、逞しい。


 そんな彼の手が好きだった。


 他愛ない話をして目が合うと微笑み合う。


 話が途切れると、騎士団の話や剣の話を振る。するとさっきまで無口だった彼が嘘のように話し始める。

 少年のように目をキラキラさせて楽しそうに話す。


 そんなセフィルが大好きだった。


 彼の隣にいる時だけは、普通に呼吸ができていた。


 どこにいても他人の目を気にして生きてきたわたくし。サイロは護衛騎士でわたくしを守ってくれる信頼できる人。だけどそこに愛情はあっても主従関係として。そして人として好きなだけだった。


 ほんの少し手が触れるだけでドキドキするのも、彼が帰った後寂しくてまた会いたくなって胸が苦しいのも、全てセフィルだけ。


 でも、婚約解消を言い渡した時、わたくしは彼への気持ちを捨てた。


 捨てたと思っていたのに………


 まさか……眠っている時には……隠せていなかった?


 でも……


「先生……もう……忘れてくださいな。わたくしは彼にさよならを言いたくなかったの。だからかわりに……彼を解放しようと思ったの」







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