2204_ちょーかチョーカー、首輪、ペット。
しつけは大切ではあるのだろうかなとは思うわけではございますが、そもそもなぜに愛玩動物を飼うのかというと、楽しむためではあるのであるからして、面倒臭いことはしたくないという発想にも至るわけであり、であるならば、躾屋さんとかの台頭も頷けたりするのであろうかな、いやまあ、躾を楽しめなければ飼うには適さないということも言えるかも知れませんが、この家庭では愛玩動物は飼えないと思います、似たようなものが稀によく訪れているような気もしますが、なんの話なのでしょうか、ともあれ、ぼちぼち始まるゴブリンです、いや私は愛玩枠ではないですよ?家政夫です。
ある意味子育てに近いものがあるのであろうかなとか、いやまあ、同時に育てれば相乗効果もあるようではございますが、普通に危ないので却下ですね。今日も元気可愛いですな。
それは大きくならないから良いのであるという意見があるようでありまして、いやまあ肉体的には大きくなることはありそうではございますが、意識的には飼い主より賢くならない、子供のようなもののままであるから、可愛らしいのであるという、庇護欲をそそるということではなかろうかなとか、いやまあ、優越感を得るために飼うというのもありそうではありますが。
共に暮らしていく中で、制御が効きやすいというものでもあるのかなとか、いやまあある程度、聞かなくても気にならないというか納得してしまうというか、言葉が通じないのでそうなってしまっているということではあるのではなかろうかなとか、意思疎通があやふやであるからこその争いを回避するやり口であり。
対人関係はそうはいかなくて話ができるので通じなくともしなければならないという縛りが発生しているということではなかろうかなと、価値観が違うものと会話をしなければならない、少なくとも最初から距離を取ることが難しいということであるし、近づいてくることを止めることもまた難しいわけでございまして。
こちらが何かしなければ生きていけないような立場であるならば、まあ、反抗的に見えても可愛らしいと納得してしまうような感じになるのであろうかなとか、絶対的な優位が感じられることが肝要につながるわけであり、逆にいうならば、その差があまり感じられなければ、容易に争いに達してしまうということでもあるわけでありまして。
できるのであるならば、やってくるに違いないから対処をする必要があるという感じで流れていく思考があるのであろうかなという予想がございまして、無意識に対抗していかなければならない、資源を確保するために動かなければならないということになっているのではなかろうかな、ある意味相手を信頼しているので、騒動になるということではあるのかと。
しつけの悪い生き物を正すにはそれはま躾をしてやらなければならないわけではありますが、前提として、その生き物よりも立場というか次元というか、管理できるだけの実力がある存在が必要になるわけであり、それはおそらく人間にとっての管理者が存在しない、作り上げられないことが争いの原因になっている、のであろうかなと。
超越した何かを作り上げることができるのかという話ではあるのであるけれども、それに実行力を持たせることができるかどうかで、話は変わってくるのであろうかなとか、絶対に平和を維持するのである装置とかなんとか、存在とかなんとか、いやまあ、その基準とか定義をどうするのかという話ではあるのでありますが、最低限人の命を奪わないようにするという、行動を制限することのできる構造から始めてみるとよろしいのではないのではないかなとは予想するわけであり。
まあ、現実味はないけれども方向性は合っているのではなかろうかなとか予想するわけではございまして、それを構造で対処しにいくのか、人間の個体を強化することで、つまりは死ににくくすることで対処するのかという方向性の違いが出てくる、のではなかろうかなとか、妄想を発散させておしまいです。
「神の如くな肉体を得れば人は安寧を手に入れられる?のかなぁ?」
「自らを不完全であると認めていくことが大切なのかも知れないですね」
「単純に死ななくなるだけでもかなり劇的ではあると思いますな”旦那様”
認めてはいるけれどもだから暴れているとも言えますな”奥様”」




