2203_劇を見るが観劇、歌を聞くなら聴歌?
もっと良い表現があるような気がしますが、ちょっとすぐに出てこない、文学的表現に疎いゴブリンが今日をお知らせします。前文が短いという意見もございますが、枕は短ければ短いほど良いという言葉もあったりなかったり、いやまあ、高座の半分以上、ほぼ全てを枕で閉めてしまって、では本編をやる時間がもうございませんので、これにして失礼とか、やってしまうような御大もおられるようではございますので、それに比べればまだ良いのではとか、結局長くなっているのではというご指摘には真摯にご意見を受け止めさせていただいて、遺憾の意を表明させてもらいつつ、前向きに善処させていただく所存です、政治家の常套句なのでありましょうかね?こんにちは。
長い文章を読める発言できるだけで賢いと言われる幼児というものは、なんでいありましょうか、そのためだけに記憶してしまうということをしてしまうので、学習的には問題があるのではなかろうかとか、ふと脳裏によぎりますが、やはり覚えられるということは、特技になるのではないでしょうかね?寿限無お見事でございました。今日も元気可愛いですな。
以前にも話題に出したような気がしますが、いやまあ、長くこのような駄文、戯言、適当話を書き連ねているわけでありまして、大体は似たようなことを言っている気がするわけではありまして、そこを気にすると何も喋れなくなるということになりますので、当方そこはあえて気にしない方向でいくことにしておりまして、いやまあ、完全に同じ内容を複写することだけは避けておきたいとかは思うわけでありますが、実のところ実際にそうしても、本人を含めて分からないのではなかろうかなという疑問が生じるわけでありますが、ともあれ、前に書いたこともありそうな話でございますが、なんでしたっけね?
とかまあ書き連ねていくうちに最初の話題を忘れることなぞしょっちゅうなわけでございまして、基本落語脳みそなのであろうかなとか、いやまああれはあれでわざとやっている、つまりは、技術であるわけであり、天然で、ただ単なる物忘れであるこれとは違うものではあるという意見ももっともであるわけでございますが、おそらくあれが素面で間違えているというか忘れているんじゃないか?とか思わせる行動もあり、いやそうではなく、限りなくありそうな雰囲気を醸し出すところまでが芸であるとか、擁護されることになるかも知れず?
年老いた耄碌した芸人が忖度された笑をその身に受けるところを見るとちょっと涙が出てきたりするものがあったりなかったりするわけでございますが、そうではなく、それはもう、その人物が生きている行動している、活動しているただそこにいるだけでありがたいというように意識を変えると、双方幸せになるのではなかろうかなとか、予想するわけでございまして。
推しというものであるのでありましょう、熱心にその方にのめり込んでいるのであるならば、最後まで、どうなろうとも、付き従ってあげよう、寄り添ってあげようとすることが真なる物好きであるということであるのではなかろうかな、いやまあ、犯罪とか不祥事とかで離れてしまうのは、これは執着心が足りていないということではなかろうかという話であり、生きてさえいてくれればそれでよろしいという心持ちでいることが良いのではなかろうかと。
いやまあ、死んでてもいいのかも知れませんが、過去の存在である何かに熱中してしまうというのは分からなくもない信条ではあり、こう、有名人、で故人に夢中になってしまうこともまたありそうなもので、なにしろもう、無くなっているので新しい不祥事を起こすこともなく安心して見てられるということではなかろうかなとか予想するわけでございまして。
覚えておくことが大事なのであろうかなと、その芸人の最高の舞台とかを脳裏に焼き付けて、いつでも思い出すことができるというのは、これはまあ幸せなことではなかろうかなとか予想するわけでございまして、いやまあ、美化されて補正された記憶で残っているので、実際に再び見るより満足してしまうというのである場合もあり、そうであると、実在する芸人にとっては、困るか困惑する可能性もあるのであるかなと、思い出は思い出として取っておいた方が良いということであるのかな、とか、連想が発散したあたりでおしまいです。
「理想の神様を作ったのであるから現物の神様はいらないという話もあるね」
「外に夢はなくそれはうちに作られるとかなんとかは言いそうではあります」
「人を神格化させると後が面倒臭いのはそういうことですな”旦那様”
まあ、基本夢は内にあるものですな”奥様”」




