2198_子孫強いるやんかしゅ、やんちゃ。
どこまでの感情爆発が許されるのかというと別に許されているわけではなく猶予が設けられているだけの話で、時間をおかずに噴き上げているならばそれは対処する必要が出てくるだけのお話で、ある意味冷酷な感じではあるのかなとか、いやまあ、対処可能なうちに胸の内を徐々に穏やかな方法で吐露しておくべきではなかろうかとか安易に助言をするわけであるのであるけれどもそれができるならやっているのではないかと言われるとそうですねとしか答えられないわけではあり、ままならないなら、父となれば良いのではと、戯言しか言えず、いやまいつものことではあるなぁ。こんにちはゴブリンです、お元気ですか?私は元気です。
子供の癇癪はそれに対して真摯に向き合う必要があったりする場合もあるので見極めが大事ではあるかなとか、いやまあ、怒りの本質というか根源を見誤ると後で対処が面倒臭ことになるのは小さな人も大きな人も変わらないのではありましょうかね?今日も元気可愛いですな。
結局のところその怒りは余人には理解できないという認識を持ったままで行動しなければならないのではなかろうかなとか、通り一平の理屈は言えるだろうし、共通認識で分かるようなところはあるのであろうけれども、そういうことではないというか、分かってしまわれると釈然としない、分からないままでいてほしいというわがままに近い感情もまた生じでいるのではなかろうかなとか。
わかるわかると安易にうなづかれるとさらに怒りが燃え上がるということはありそうではあり、私の何がわかるというのかという話にはなりそうであり、理解されたいのに、簡単にされると、自分の人格が浅く見えて矜持が傷つくといういや面倒臭いですよねという意見しか言えないのが感情というものではあり、いっそ無くした方が生きやすいのではとなるわけではあるけれどもそれならば、何を楽しみにするのであるかとか生きる意味とはとかの話に派生するわけであり、これまた、面倒楽しい会話やら対話やら問答やらが始まりそうな気配ではあり。
いやまあ、徹頭徹尾、理解し合うということはできないわけであり、それは言語という不自由な対話する道具に頼らざるを得ない現状が証明しているわけであり、頭の中の情報をそのまま直接伝えることが不可能な現実が、あるということをまず念頭に置いておくべきであり。伝わらないことが普通であるということであることを前提に話を進めるしかないということであり、さらにいうならば必ず誤解されるということもまた普通のことであるという、諦めにも似た覚悟をする必要があるのではなかろうかなとか、予想するわけであり。
ただそのおかげで、伝わらない完全にはそうならないことによって、現象が発生している可能性もあるわけであり、自己満足がそれだけで終わっていない、わがままが結果として万人の共感を得てしまっている、流れを作り上げてしまっている、自己犠牲とか他者愛に振り切ってしまっているような結果を作り出してしまっている、良い方向へと進んでしまっている、ような対話結果とか会話結果とか、関わりあいの成熟みたいなものが結実してしまう、こともあり、狙ってできることではない凄みが生まれる展開も、観察できるわけではあるわけで。
良くも悪くもそうなっているという感じではあるのかな、世界はというか社会はというか、情報伝達を行なわれている領域とかは、そのような完全には伝わらないむしろ誤解が重なっているという現象を大元にして作り上げらているわけであり、また、これは長く変化しない様式ではあるのではなかろうかなと、性質と言っても良いのかもしれない、特徴とかでもあるのかな?
なので逆に全く持ってして完全に情報が伝達されるような思いが共有できるような構造はそれを作り上げるための仕事に対して、抵抗が最大限働くようになってしまうのではなかろうかなとか、希望するとか求めるとか目指すような動因が軒並み消されてしまう可能性が高いのではなかろうか、なぜならば、わからないままでいる方が、熱量が発生しやすいのであり、停滞を産まない可能性が高いからであり、発展しているのであるならば、理解し合うことを妨げる、ことになるのではなかろうかなとか、いやまあ、文明とか社会の向かう向き次第ではあるのではあるかとも予想できるわけではあるけれども、今までの熱量というか惰性というか慣性によってそれはなかなか向きを変えることが難しくなっているという、性質を持ってしまっているのではなかろうかとか、いやなんの話なんでしょうかね?連想が暴走して発散したあたりで、おしまいです。
「行き場のない怒りの向き先として宗教が作られたという側面はありますね」
「理解を必要としているのだけれども完成はしない、そんな感じですね」
「側面というか正面では?”旦那様”
理想郷はないけれども向かうことに意義があるみたいなですな”奥様”」




