2197_グルって道士、魔法陣、キタキタ尊師孫子。
色々混ぜるな危険な気がするわけではございますが、基本宗教のお話は避ける傾向があるわけで、普通に敏感なところではあり微妙なところではあり信条の関わり合いがあるところは、話題に出すだけで争いをうむとか産まないとか、こういう話をするということはすでに手遅れではないのかなとか、いうところはまあ、置いておいておきましょう、特定の何かを指してなければ良いのではというあたりで落ち着かせなければ何もできない、話せない可能性が高くなるということでございましょうか?微妙ですね、こんにちはゴブリンです、基本無宗教です、もしくは空飛ぶ蕎麦教徒でもあるとすればよろしいのでしょうか?
神様が見ていますよという脅し文句があまり脅しにならないのは幼児全般に言えるのでありましょうか?それとも独特な個体故の現象であるのでありましょうか?今日も元気可愛いですな。
心の拠り所にしている時点でそれは不完全な精神ではなかろうかとか過激なことも言えるわけであり、何かに頼っている時点でそれは進化を完了していないというかまだ先に進む余地があると、現状未熟であるのではないかとか、言えるような気がするわけであり、なるほど、宗教を大切にしている方々を自然と下に見るような言動になるわけであり、これはまあ、対立を産みそうではあり。
ではなぜに宗教を大切にするのかというと、基本伝統というか文化を大切にするという意味合いに似ているものであり、ただそれは生き方であるというか矜持であるというか、先祖代々受け継いできた何か誇りのようなものであり、よって立つべき根拠であるという感覚であるのであろうかなとか、いやまあ、だからそのようなものに支えられなければならない精神が未熟というのでは、とか言われてしまうわけではあるのであるけれども、こう、別にそれが未熟であっても良いのではなかろうかという視点も必要ではあるのかなとか。
ただそれに振り回されているのでは、確実に不利益を被っているのではと観察されると、個々の案件として、どうにかしなければならないのではなかろうかという助言をしたくなったり、手助けをしたくなったりすることは、まあ普通にありそうであり、なぜならば、それに耽溺することによって、こちらにも被害が及そうであるからであり、自衛のために、深すぎる信仰心もしくは、歪んだ信仰心を是正することが必要になるのであろうかなとか。
問題はどこで評価するのか?誰がどのような基準で観察して評価し、取り締まる、補助する、是正する、実行力のある行いをさせるのかというところではあるのかなとか、健全な宗教活動を維持管理する第三者的機関とか独立団体とか、しかも権力武力拘束力付きとなると、これはもう小説やら物語やらの悪役にしかならない設定ではあるのか、とか、予想できてしまうわけであり。
神様とか仏様とか超常の超越の存在がいるかいないかの話は置いておいて、それがいるとして振る舞うことについての、影響をみて判断するしかないのであろうかなとか、具体的には法に触れるか触れないかというあたりが基準になるのであろうかとか、ただその法律そのものも時流に即して変化するものであり、絶対的な基準にはなり得ないということを十分に理解して動かなければならないということではないなとは、思考するわけでございまして。
どのように付き合っていくのか、距離の適切な撮り方はどうなのかということを、考えさせる初期からの学習が必要になるのであろうかなとか、それは極限状態の社会ではなし得ないものであり、平和というものが、もしくは余裕というものが必要になってくるのではなかろうかなという予想がまたなされるわけであり。
宗教的対立やらなんやらで平和が脅かされているときに必要なものは、学習をするための、客観的に判断することのできる技術を得るための、平和な時間であるという、矛盾するようなことが言えてしまうわけであり、つまうるところ、誤魔化しでも、お為ごかしでも、時間稼ぎでも、なんでも良いので、時間をどうにか捻り出して、その隙間に対策をねじ込んでしまおいう、そうしなければならないという意識の統一なのではなかろうかなとか、いやまあ、どうにかだまくらかして、それらを差し込んでしまうようなやり口をする、個人や少人数の組織というのもありかもしれないとか、ぼんやりと妄想を膨らませておしまいです。
「神は死んでいるけれども生き返らせることは結構できるしね」
「とにかく冷静になって客観的に思考できる時間を作ることは有用です」
「復活なんて、神様の十八番ではありますな”旦那様”
そこで畳み掛けるように再洗脳をさせる組織はさらに有用ですな”奥様”」




