2192_四方八方崩れからの敗れかぶれ者、いい?
四は死に通ずるので不吉であるというのはまあこじつけの駄洒落の言葉遊びではあるわけではございますが、ある種の印象操作という呪いでもあるわけではなかろうかなとか予想する話でございまして、では四天王とか四聖獣とかどうなるのでありましょうかというと、そのまま、死を連想させてもそれほど違和感がないのではとか返すと結構危険なのでありましょうかね?というか四天王寺とかを敵に回しそうな感じではありますが、ああそもそも死が穢れであるという発想が、どこかおかしいと感じる方が良いのでありましょうか、哲学ですか、違います、ただの戯言ですこんにちはゴブリンです。
生き生きとした幼児は死から遠いのかというと結構儚いので目が離せないわけでございまして、いや普通に危ないのでその機動はおやめください。今日も元気可愛いですな。
四方向へ進むことができる仕組みがあるとして斜めへの移動はどう対応するのかというと、細かく方向を変えることでそのように見せかけるというやり口がございまして、いや素直に方向を増やせば良いのではとかなるのではございますが、処理する段階が少なくなる、命令数が少なくなる利点をとる、場合もあったりするのでありましょうかね。
単純に動きを制限することで楽しみを増すというやり口もあるわけではあるかもしれないわけでございますが、特定の数字を縛ることによって、現実に制限をつけて赴きを出していく、趣味に走るというやり口も芸術的ではあるのかなとか、数を数えていって三という数字がつく時だけ馬鹿になるというのも知性的な遊びではなかろうかとか、知性とは?
余裕がなければそれは生まれないのかというと、これはまあ逆に余裕を作るために遊びを入れてみるという類のものではなかろうかなとか予想するわけでござまして、ぎりぎりを攻めていると不具合が発生した時に余裕がなくなってしまうので、あえて、ゆったりと隙間を作っているような感覚であるのではなかろうかとか、それを自然にやってのけるために、因縁めいた、習慣を駄洒落のように生活に落とし込んでいるとかそういう知恵なのではなかろうかとか。
その本質を忘れて、建前だけになってしまっていると嘆く可能性はありそうではありますが、ただ、建前だけでも役に立つからこそ長く残っているのではという考察はありそうであり、無意識に働きかける仕掛けとして役に立っている可能性はありそうではあり、逆に本質を忘れているが故に、足を引っ張っている場合もこれまた同等かそれ以上の確率で存在している、可能性もありそうではあり。
ではどう対応するべきなのかというと、これまた好きにしたらよろしいのではというような放り投げた返答がよろしかろうということになり、囚われ過ぎても害になるし無視しても共通認識のずれが他者との対話を阻害することになるというか、行動様式がどこか衝突する危機と発生させかねないわけであり。
事と次第によるとか環境によるとかそこまでの経緯によるとかしか言えないということではなかろうかな?とかぼんやりと想像するしかなく、ではこの因習とか作法とか駄洒落とかを完全に削いで仕舞えば効率的になるのかというと、それもまた違うわけではあり、ある面では効率的ではあるものの、どこかで不具合が出そうな具体的には感情によるものが起因の、厄介ごとが発生する可能性が出てくるという、とことん面倒臭い話ではあり。
では全ての起因となる感情が無駄であるのかというと、それはもう見方によっては無駄の極みではあるわけでございますが、これがあったが故に今まで生き延びきてきたというある種生存戦略の要因ではあるわけであり、簡単に切り離すことができないという、ただそれだけの話であり、そもそも切り離したら、現状の生存戦略を大きく変えなければならないのではなかろうかという予想もあって、全体的に躊躇する、している、ということではなかろうかなとか。
いやまあ、客観的に観察して消した方が良いよねと思いついても、どうやってそれをすれば良いのかとなると、これまたかなりの時間がかかる問題ではあるのではとは思うわけであり、先は長いね、人類。おしまいです。
「神様が感情を持っているなら人が持ってるのも自然という逆をいけばよい?」
「純粋理性生命体というものを擬似的に作ることはまあできそうではある」
「大体熱く燃えた英雄に討伐されるタイプの神ですな”旦那様”
人工知能とかがそうなのでしょうかね?”奥様”」




