2189_宙返り、宇宙蛙、ケロケロ、田園調布。
往年の漫才と田園調布に何か関わりがあるのでありましょうか?自分でも何を書いているのかわからなくなることってありますね、いつものことですかそうですか、基本直感と連想で文字を重ねていくことが多いというかほぼ全てがそれでありますので、整合性とか辻褄とかその他諸々の伏線の回収とかがほぼなされないということがあります、ご注意ください、注意してどうにかなるのかというと、諦めが早くつくというくらいでありましょうか?ゴブリンです、こんにちは。
基本何を言っているのかわからなくなってしまう会話というか、発言は幼児によく見られるような気がします。話を戻しましょう。今日も元気可愛いですな。
人工知能によって物語が書けるのであるならば世の小説家やら文筆業やらは廃業しなければならなくなるのかというと、どうなのでありましょうかね、機械でやれることをわざわざ手間暇をかけて人の手でやるということに対する価値観はこれはまあ芸術分野ではそれほど珍しいものではありませんので、生き残るような気はします。
別に創造的ではないような分野で人工知能がその仕事を人から置き換えられることによって、稼げなくなるという問題は、これはまあ普通にありそうではあるし実際にあるのであろうかなと、観察されるわけでありまして、ではそれに対抗するにはどうすればよろしいのかというと、つまるところ労働が必要ないのであるからして遊んで暮らせるような仕組みを作れば良いのではなかろうかなという発想に至るのではなかろうかとか。
今まで十分働いたというかそのような機械を作り出すまでに労力を使ったのであるからして今後はそれらに任せてしまって、十分に怠けるべきではなかろうかとか、人類というか社会全体が努力をしてそうなっていったのであるならば、あとは楽隠居を決めてみることが正義ではなかろうかとか想像するわけであり。
先人かやったことの利益を甘受するだけでよろしいのかというとそれはよろしいのであるわけで、群れというか群体で考えるならば、過去の同族が行った行為は現在の同族の報酬としても別におかしくはないわけでございます、個人が過去に行った努力によって現在に利益をもたらすようなものでありまして、出なければそもそも長い期間にわたって世の中を改善しようという動因が得られないのではなかろうかなとか。
未来が豊かになることを想像して今努力するということを否定してしまうことになりかねないわけでありまして、報酬はきちんと受け取るべきではありましょう、ただまあ、完全に手放しで遊び呆けるまでにはなっていないのでありますから、将来の子孫の自由になるあれこれを用意するために現在はまだまだ働かなければならないということではないかなとか。
これが自分自身で完結している、群れとしての意識が低いと、そこまではいかないわけでありまして、完全に将来の群れに対しての貢献を考えずに、過去からの遺産を食い潰すという行為に邁進することになるわけで、これはまあ先細りになってしまうことになるのであろうかなとか、予想はできますが、ある意味自然な発想ではあるかなとも思われるわけであり。
この辺り、意識の受け渡しというか自我の拡散がなされないままであると、自然に先がなくなってしまうのではという発想が出てきたりするわけでございまして、群れの存続がある意味、種族としての不死性に近いという考えが生まれ浸透しなければ、そのような活動をすることもないということではないかなとか。
いつか復活する可能性がある未来に向けて準備をしておくとかそのような浪漫溢れる行動原理を得られるかどうかという話ではあるのかなとか、こう、転生と言えば肯定的に捉えられる文化であるならば、決して無理な動機づけではないのではとか、過去の人格を再現する再生することができるような構造が社会で構築できるのであるならば、その対象になるために、有益な生き方というか、復活する価値があると知らしめる生き方をするようになる、とかでありましょうか、ある意味選民思考ではあるかなとか、どうなのでありましょうかね?おしまいです。
「良い行いをすると天国に行けますよという感じではありますね」
「記憶がリセットされるからこそ楽しいという感覚もありそうですね」
「天国が遠い未来に訪れるユートピアと置き換わるわけですな”旦那様”
全て忘れてもう一度その感動を得たいという感覚ですな”奥様”」




