2181_てぃーす系、うおっす系、ちゃーす系、同類。
歯を磨けよ、宿題したか、風邪ひくなよ、とか週末に尋ねて終わる動画番組があったそうでありまして、ある意味伝説を作り出してはいるのであるけれども、民放番組であるので振り返りが結構雑になっているというか、資料が散逸しているのではなかろうかという恐れがちらほら、ありそうな話ではありますが、文化的な遺産が消えていくと考えると結構大変なことではなかろうかなとか、いやまあ、結構残している個人が多かったりするのかなとも思考しますが、ういーす、ゴブリンです。
子供むけにしては結構危ない表現が多いという感じではあったのかもしれないわけではありますが、いやまあ、今更という気もしますな。今日も元気可愛いですな。
若者が多用する言葉とかはまあ当たり前の話ですが、新しく生まれた言葉だったり用法であったりするものでありまして、一見意味が分からないこの場合は一読とか一聴とかであるのでしょうか?説明を聞くとなるほどと納得する、こともあったりする言葉ではあるわけで、大体は廃れてしまうわけではございますが、まれによく生き延びてしまって日常言語と紛れてしまうことがあったりします、ある意味言葉の進化とか、誕生とか神秘的と感じるほどの、現象ではあるのかなとか想像するわけではございますが。
そして老人というかある程度歳を取った方々が、その言葉をあまり歓迎しない傾向にあるわけで、これはまあ、変化を拒むというか、変化に対応する資源の消費を勿体無いと感じてしまう年齢層であるということなのかも知れず、いやまあ、残り時間を考えると、余計なことに意識を裂かれたくないという気持ちも十分想像の範囲内ではございまして。
ただ好奇心は刺激されるのではなかろうかなとは予想できるわけであり、そうであるならば、脳みそへの刺激としては結構手軽ではなかろうか、新語とか流行語とかある意味駄洒落のような変化をしているわけであり、言葉遊びとしてもう少し興味を持つ方が増えても良さそうなものではある、とか予想するわけではございますが。
伝統的なというか正しい文章やら文言の使い方から外れているので困るという話はありそうではございまして、これももっともな話ではあり、意思疎通が難しいくらい、元の意味合いから離れてしまった言葉とかは、使われてしまうと混乱してしまうのではなかろうかという心配、と申しますか、実際にすでにありそうではありまして、なるほど、安易に新しきに迎合することに抵抗する理屈ではあるかなと。
逆にそのような新しい言葉に抵抗を示すことが不利益につながる場合もありまして、これはまあ、時代についていけないとか、知識の習得やら学習に不熱心であるという感じで、果たすべき労力を使用していない、怠け者であるという評価を受けてしまうこともあり、この辺り、どのくらいの頻度で、歩み寄るのかが、老人の技術となる、のかも知れず。
伝統を守ることは、これは歴史を動体保存することであり、大切なものでありまして、なぜならば、当初の正しいやり口には、当初持っていた、もしくは持たせていた意味が付随するわけであり、そこを失伝してしまうと、もはや上部だけの、形骸化した無意味な資源の浪費にしかならない、だけではなく、曲解された上に、資源の浪費を招いてしまう、可能性があったりするのでありまして。
または、そのような伝統を守るということに固執するあまりに、現状環境に合わないことを続けてしまうという逆の場合もありそうではあり、この辺り、保存はするけれども意図をずらすというやり口も必要になるというか、変化していった流れそのものも保存する必要がある、ということではなかろうかなと。
変わることは悪いことではない、変わらないことが良いことでもある、この辺りはまあ、いつもの通り、時と場合と歴史的な流れやら環境やらに左右される評価であり、絶対的なものではない、というあたりを念頭においておいて、思考をしていくべきことではあるのではなかろうかなと、ただそこに意識を向けすぎると、理性が勝ち過ぎて、感情を主体にする装置であるところの何かを蔑ろにしてしまう可能性もあり、ここもまた均衡を取る必要がある、かもしれず。
楽しければいいじゃないか、という気づきが実のところ一番良いという可能性もありそうではあるかな、と至ったあたりで、おしまいです。
「神様を讃える祭りの根源が変わることはよくありますね」
「感情を爆発させる行為を冷静に観察することがすでに伝統的ではない?」
「神様への意味合いが変化することはよくありますな”旦那様”
冷めた目で見るものじゃないというものはありますな”奥様”」




