2177_じゃくちゅうといえば伊藤、嘱託の食卓。
絵画の意味を思考してみるけれども好みの差くらいしかないのであろうかなとか正確さを競うのであるならば写真があるわけでありますし、現在の技術ではそれは不要ではあるかと言うとそうでもなく本物そっくりに描く技術が賞賛されることもあり、ある意味希少性というものが尊ばれているのではあるかと、写真で良いのではというところで実際に書くとかなんとか、人工知能で描く絵画を実際の手で描くというとろこに通づるものがある、のかも知れません、まあ、適当に言っているだけでありますがはい、今日の雑談です無駄話です、ゴブリンです、こんにちは。
画伯とはこういうことかなと、いやしかし流石に描く場所は選んで欲しい気がしますが、そこも止められないのがまた才能というものであるのかと言わせたいのでありましょうか?今日も元気可愛いですな。
感情を動かしたいからこそ絵を見るのであろうかなとかいやまあ日常生活で知らず知らずに目に入ることの方が多いのであろうか、多分わざわざ絵を見にいくという行為をすることは日常ではないのではなかろうかなとか、入館料というか拝観料というか、ちょっと違うか、いや仏画とかであるならあり得るのか後者も、とにかく資源を費やしてわざわざ行動するほどのものであるのかというと、これまた人によるとしか言いようがなく。
知見が増えるという意味合いであるならばどのようなところでも楽しいという感情を抱く可能性はありそうではあるのでありますが、わざわざ現地に行かなくともその絵を見ることはできるといえば言えるのでありますが、そこへいくための行為、旅路そのものがが感情に働きかけるものである可能性もありそうではあり、この辺り、一概にこうであるとは言えないものがあるのであろうかなとか。
効率を追求した美術鑑賞というものはそれはそれでつまらないのではなかろうかなという話ではあり、倍速あたりにして演劇映像を観るとか音楽をきくとかであるのであろうかなとか絵画であるならば流し見るというか駆け足でながめるようなやり口でありましょうか、見たという実績だけ残せば良いという満足の仕方もそれはそれで否定できるものではなく、自分が楽しみやすいようにしてみることが良いとは想像できるわけではあり。
苦しんでわざわざ見にいくことはないとは思われるわけではありますが、苦悩することが必要なことであるというやり口もまた普遍的な題材ではあるのかなとか、悩みたいので困難に直行するというか、艱難辛苦を与えられることが嬉しいというか、いやそういう性質であるのかというとそれを乗り越えることが楽しいとか、そもそも乗り越えなくとも悲劇的な状況で酔っているような感情を抱くことが楽しいという性質は、ありそうではあるわけで。
ということは不快であるようなものを集めた美術館とか博物館とかも一定の需要があるのではなかろうかなとか、いや、表現が不自由であるとか言われても困るという失敗例があるのでそれはそれで相当うまくやらなければ商売にはならない可能性が高そうではあるけれども、ある程度最初から、不快にさせるものを集めてみたということであるならば、可能ではあるのであろうか?
ただ、誹謗中傷、個人や故人の尊厳を踏み躙る系の作品は、これはまあ、普通によろしくないであろうかなという判断はできそうではありまして、精神的苦痛を与えることはよろしくない、いやまあ、その精神的苦痛を得たくて、そこを訪れるのであるならば、これはこれで正解ではあるのかと、問題はそれを得たくないものまでに波及するからということなのであろうかなとか。
秘密美術館とか博物館とか隠されてひっそりと同好の士だけが訪れることができるものであるならば、許されるというか、お目溢しをいただける可能性はあるのではなかろうかなとか、こう辛さを目視することができる眼前に突きつけられることができる、端的にいうならば、悪意を陳列しているような施設であるわけであり、いやまあそれに耽溺するような方と、お近づきになりたいかというと、どうなのであろう?
仄暗いというよりは、真っ暗であり、絶望に塗りつぶされたような行為が保存されているような場所があるならば、少し覗いてみたい、くらいの好奇心を持つものは結構多そうではあるかなと、猫を殺しそうではありますが、おしまいです。
「悪徳に誘いつつ神への忠誠を試すような話は結構ありますね」
「怖いものは興味深いという発想はあるのだろうなと」
「そのくせ神様を試すことは良くないとは言いますな”旦那様”
分からないからこそ怖いという錯覚がありますからな”奥様”」




