2175_やる気は出ない惰性で動き出す、習慣。
やる気が出たらやるは、無理なのだそうですね、ただ待っているだけでは何も始めようとはしないという研究結果がどこぞから出ているわけでありまして、脳内物質でしょうかね、そういうものはただ漫然としているだけでは出ないそうで、言われてみれば当たり前の話でありまして、行動が先で気持ちはあとというか、活動が先でそれに釣られて反応して脳みそがうんぬんはよくある話ではあるのかな?とか、身体が先か脳みそが先かという話ではあるのでしょうか?などとぼんやり連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
基本幼児は身体が先のように観察されるわけでございますな。そして大体後で結果が出て後悔したりしなかったり興奮したり覚めたりするという感じでありましょうか?今日も元気可愛いですな。
じゃあやる気を出すというか何かをなすにはどうすれば良いのかというと、とりあえず関わりのある簡単なものから始めてみるということが良いそうでありまして、少しずつ始めてみる、毎日、ちょっとずつ進めてみる、飽きないように目標を小さく設定して達成感を得てみるとか、まあ、そういうふうな、即席的なやり口があるそうでありまして、これがまた馬鹿にできない結果を導き出す、こともあるそうでありまして。
その当人に合うやり方を探すことが大切であるという話でもあるのかなとか、いやまあ、探している間に時間切れになってしまうということもありそうではございますが、手当たり次第にやってみて、かえってよろしくない結果を巻き起こしてしまうこともまたありそうではございますが、まあ、失敗は、それがうまくいかなかったという結果が得られたという点で有益であるという見方もできるわけではございまして。
見方次第という言い方もできるのではなかろうかなとか、発想を変えてみる、視点を変えてみる、言葉を表現を変えてみる、あたりでかなり世界が広がりそうな気がしますし、大体において精神への負荷が少なくなる、可能性が高いのではなかろうかなという予想ができるわけであり。
ただ、何か上手いことができたとしてもそのやり口に固執することはこれまた問題が発生する可能性があるという話でもあり、それはそうではありまして、状況と環境が違うことが多いのであるので、それそのままを当てはめてもうまくいかないことは当然の帰結ではあるわけで。
であるならばそれは要素を抽出して、抽象的な利点を応用することが大事になりその技術をまずは学ばなければならないのではなかろうかなとか予想するわけでございまして、ではその効果的な学習方法は何であるのか、つまるところ、物事の抽象化かどうすれば良いのか?という話になったりするのでありまして。
感覚を言語化することが大事なのであろうかなとか、いやまあ、感覚をそのまま伝えることができるのであるならば、指導は結構楽にはなりそうではございますが、基本言語で情報伝達をしているわけでございますが故に、まずはその手を試してみるということになるのかなとか。
ああまあ、直接的にみて覚えさせることもよくあるやり口であるというか、こちらが先にくるものであるのかなと、同時に経験をさせてみる実際に手を動かさせてみるというやり口もあるのかなとか、いやまあ、それは抽象化につながるのかというと、いろいろ応用方法があるというところで基本を伝えるような、雰囲気とかになるのかなぁとかぼんやり想像するわけであり。
身体を動かして記憶させる学習させることはかなり有益な学習方法であるというお話もあるそうでございまして、この辺り、まずは抽象化させるためには具体的に何かをさせてみて、繰り返し色々な行動をさせてみて、類似点を抽出してもらうとかが、効率的な学習方法になる、のかも知れないとか、いやまあ、実際に似たようなことやらそのままやっている方も多そうではございますが。
資料となる文献やら、実際の体験談やら、空想でもその事例を書き記したり映像にしたりしているような物語的なものやらを、数多く情報として取り込んで、類似点をまとめていくというやり口も、便利なものではなかろうかなとか、ぼんやり連想を発散させておしまいです。
「神様がこうおっしゃっったとかやられた、という風に学ばせることもありますね」
「抽象化してそれを数式で表すとわかりやすい、こともあります」
「まず真似から入るやり方は有用だと思いますな”旦那様”
明らかなものがはっきりするとわかりやすくなる、でしょうな”奥様”」




