2173_欲しいもの干し妹。
乾燥した人間はいらないのではなかろうかとか、いやまあ、それで無事に活動しているのであるならば問題ないのではなかろうか見た目が不気味であるという一点が問題になるかも知れないですか、どうやって生きて活動しているのかわからないということがそもそも大きな疑問になるのではなかろうか?動く死体だらけになった世界は誰も死ななくて綺麗な世界なのかもしれず、安定はしているのでありましょうか?恐怖体験にはいささか耐性があるような気がいたしますゴブリンがお送りいたします。
怖いものはあまりなさそうではあるのではありますね、自分が一番怖いという結果になりそうでもございますが。今日も元気可愛いですな。
これ以上死なないということであるならば実のところ安定していると言えるのではなかろうかなとか記憶が断絶せずに連続していることが全ての個性において終わらないのであるならば、それはかなり平穏な世界と言えるのではなかろうかとか、不老不死が蔓延してしまったならば平等になるのではとか思考したりもするわけでございますが。
生活するための資源がかなり節約されるということであるならば、なるほど効率が良いということになるのではなかろうかなとか、予想するわけではございますが、ではどうやったらばそうなるのかという話になるのであろうかなと、生命として終わっているものが生きている時と同じように活動できている仕組みはなんであるのか?という話になるのではなかろうかなとか。
別の仕組みで、資源を消費して活動しているのであるならば、それはあまり意味がないのではなかろうかなとか予想できるわけではございますが、その変換効率がよろしければ問題はないのかも知れず、動きがかなり制限されるわけではございますが、植物のような感覚で生きていくような感じではなかろうかとか。
粘菌と似たような感じになる可能性もありそうではあり、ある種の菌類に近いのではなかろうかなとか、それが形を維持したりしたり運動をしたりすることができるようになるとかそんな感じになっていく、のでありましょうかね?基本水と光があればそれでよろしくなるという生き物に変異してしまうということでありましょうか。
脳みそへの栄養はそれで足りるのかという話にはなりそうではございますが、これはどうなのでありましょうね?また別の仕組みで熱量を確保するようになるとかもしくはかなり消費資源が少なくて済むように変質してしまうということになるのでありましょうか、思考というものが極限まで削られてしまった、小さな脳になるという、可能性もありそうではありますが。
生前と比べて思考力が落ちるのであるならば、これはその進化というか変化に向かうことは考慮に値しないという意見もありそうではございますが、いっそ思考そのものを外部に委託してしまうような生き方を選ぶというやり口もありそうではございまして、ただそれは本当に生きているのかという疑問が湧き上がるような生き方になりそうではございますが。
思考とか記憶とか、その手の脳みその働きを個々のそれが小さくなることを補うように共同で管理するような生き方になるとかでありましょうか、群体のようなものに変質していく感じになるのではなかろうかなとか、ある意味個人というものが消失してしまう可能性が出てくるわけではございますが、逆に、個性に特化した、思考とか働きだけを個人の持つ脳みそに紐づけて、それ以外の共通認識とか、情報、記憶などを、共通化してしまう、一つの大きな脳みそというか、情報の塊として共有してしまうような仕組みになっていくとか、どうであろうかなと。
生きるために必要なつまらない記憶やら情報やら経験やらは最初からそこに集めておいて、時代を超えて、世代を超えて、そこに接続できるようにして、個人個人の直感に近い、感情やら、個性やらだけを、持って動くような感じになるわけであり、実のところ似たようなことをすでにやっているのではなかろうかなとか、大事な判断基準やら共通認識を外に持っておいて、それに対して反応しているだけ、という行動様式がそれにあたりそうではあり、それほど、珍しいものではないのではなかろうか、とか、自分で考えて判断するという行為を結構な割合で放棄している現状が、すでにあるのではなかろうかとか、ぼんやり連想しつつ、おしまいです。
「ゾンビに対する宗教にスタンスはおおむね敵対的ではあると思いますね」
「生きているということの定義が違うだけで、ゾンビも生き物であるとか?」
「死に損ないとかは安らかに眠らせようとかしますしな”旦那様”
ゾンビの保護団体とかちょっとずれているような気もしますな”奥様”」




