2165_ぬきあしさしあしかんがえるあし。
思考をしているからこその人間であるとかなんとかそんな感じではあるのかなとか、ただ言語を使用して思考しているのかどうかはまた別の話であるらしいというか、画像やら音やらその他諸々の色合いやら記号やらその手の非言語的な思考がされている脳みそも結構多いということでございまして、その辺りがあって、共有化が難しいというところがあるのではなかろうかなとかぼんやりと連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
映像どころか感触だけで思考している感じもしますな。正しく獣のような思考方法ではあります。いや、文明人に戻って欲しくはありますが。今日も元気可愛いですな。
言語によらない思考をしているかどうかは外から見ても判別できないわけでございまして、今の思考を言語化できるかどうかという問いに対して瞬時に答えられるかどうかというあたりで判明するのかなとか思考するわけでございますが、言語で思考していてもその瞬間瞬間で忘れてしまっているような場合もありそうではありますので、それもまた難しいのではなかろうかとか予想する次第ではあります。
動作で思考しているというか動作を思い浮かべている可能性もありそうではございまして、それに近いものとしては音声で思考している場合があるのではなかろうかなとか、文字ではなくて会話とか発音とかで思考しているわけであり、この場合であると、文章として出力するときに時間がかかるとかずれができる可能性が高いのではなかろうかとか想像するわけでございます。
喜怒哀楽とか快楽不快とか、痛みとか心地よさとかそのような感覚に近いものでしか思考していない場合もありそうではありまして、肉体に引っ張られている感覚であるのでありましょうか、生き物としてはむしろ自然ではございますが、長期的な計画やらを立てるには向かない思考方法ではあるかなとか想像するわけでございまして。
その場その場での反応が素早く行えるという点では感情やら感覚的な思考もそれほど悪いものではなく、むしろ生存戦略的には十分な武器になったのではなかろうかなとか、徐々に未来へ向けての想像力が働くようになってさらに効果的になったとは予想できるわけでございますが、長期的な視野が持てるようになったとか。
抽象的な概念を思考できるようになったわけでありそれに名前をつけることに成功したので、論理的な流れを意識できるようになった、時間の流れを順序よく、考えることができるようになったのではなかろうかなとか、想像するわけではございますが、それは映像で思考しても可能な部類ではあるわけで。
ただ時間が必要になるのではなかろうかなとか、必要な想像を完了するための記号としての映像というものが上手に切り取ることができるのかどうかというい問題があるのではなかろうかとか、予想するわけでございまして、逆に力技で映像思考が素早くできるのであるならば、情報量の処理数はかなり効率が良くなるのではなかろうかという発想も出てきそうではあり。
では、映像でも動画でも音声でも言語でもない思考で深く進むことはできるのであろうかというと、概念そのものをその材料に使っていくというやり口はあるのではなかろうかなとか、言葉にならない何かを組み立てていくことで考えを進めていく、未来を予測していく、想像していくというやり口であり、原始的な生命体がやっていたものをそのまま発展していくような感覚であるのでありましょうか。
普通は言語化して思考の棚を整理して組み合わせていくのではなかろうかなという話ではありますが、あえてそうしない、もしくは、何か理由があったり、偶然そのような脳みそを組み上げてしまったという生き物が誕生するということは、ありそうではあり、もしかするならば既にどこかに誕生している可能性があり、そしてそれは外からでは判断できないようなものなのかも知れず。
変わった思考方法をしていることはなんとなく推察できるわけではあるものの、完全にその内容を理解できないような、不可思議というか、その人格にとっては必然的な、当たり前な頭の使い方をしている、そのような可能性があることは、確かではあり、ではそうであったなら、どうなるのか?という話でもあるのではありますが、まあ、個性のうちであるというあたりで、埋没することも多そうではあるかな、とかぼんやり思考しつつおしまいです。
「神様の思考方法とかも特殊であるべきという発想はありそうです」
「感覚だけで生きているけれども優れた研究者である人もいますね」
「人知の及ぶところではないという発想ではあるのでしょうな”旦那様”
言語化が難しい思考をしている人は多そうではありますな”奥様”」




