2155_四様五様、さまざまサマンサ。
芸能界は浮き沈みが激しいように見えるわけで実際にあたり外れというか売れる売れないははっきりしてしまっている流行がある、ように観察できるわけではございますが、根強い筋を得ているとえてして関係がなくなることも多いように観察できるわけでございまして、むしろ、落ち目であるときに支えることができるという満足感とかもあったりするのではないであろうかとか、ぼんやり想像しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
最初に好きになったものはずっと好きである、場合と飽きられる場合があるような気もしますな。子供は意外と執着するものもあったりするので、安易にものを捨てると恨まれるわけです。大丈夫です、洗っているだけです。今日も元気可愛いですな。
肉体関係を強要して売上につなげるような商売をするというのもあるそうでございまして、むしろそれほど珍しいものでもないという風潮があったりするわけでございますが、強いて仕舞えばもちろん犯罪ではありますし、合意の上でもそれは売春行為にあたる可能性が高いのでやはり違法性がある、のではなかろうかなとか。
そこを指摘することが野暮であるという風潮がやはりあったのであろうかなとか、いやまあ、皆さんやっているので、犯罪だとは思いませんでございました、というような頭の悪い答弁が罷り通ってしまうような界隈であったのであろうかなとか、まあそもそもそれほど真っ当な方がいかれるような場所ではないとか、言われ続けてきたところではあるわけでございまして。
今更そんな話をしてどうするのでありましょうかねという、認識でもそれほど間違ってはいないのではなかろうかという感想も出てきそうではありますが、ある意味野放図であった箇所に真っ当な意見が通るようになったということではあり、めでたいことではあるのではなかろうかなとか、良い風潮ではあるかと。
衰退していくようになるのではなかろうかという感覚もそれほど間違ってはなく、今後はより一層、細分化されて、個人営業というか、小規模化していくのではなかろうかなとか、予想するわけであり、あまり大きな規模では芸能活動ができなくなるのではなかろうかという、せいぜい、千人くらいの顧客を確保するような、飲食店に近い形に移行していくのではなかろうかなとか。
千人のお客さんがいるならば、その稼ぎの0.1%以上を貢いでくれるのであるなら、これはもう十分な生活ができるということになるわけでございまして、遊興費というか、趣味のお金の範囲ならそれほど、無謀な数値ではないのではなかろうかなという感覚であります。
さらにいうならば、百人のお客様でも、年間にその稼ぎの1%の資源を注いでくれるのであるならば、問題なく生活でき、さらにさらに、究極に一人しかお客がいなくとも、その方が、全て貢いでくれるのであるならば、生きていけるわけでございまして、いやまあ、稼ぎが十分に生活できる分の倍なければ、共倒れではありそうではございますが。
つまり個人の指向に合わせた芸能が誕生する余地があるのではなかろうかな、と、こう、日常に余裕を持たせて、笑わせてくれたり感動させてくれたり、つまりは、面白おかしくしかもためにもなるとかである、専用の芸人、人材でありまして、ある意味太鼓持ちとかに近いのでありましょうか?
いやまあ、主婦とか主夫とかが当てはまったりする可能性もあるわけでございますが、ある意味、その職種は外で働く方々を癒す芸人であると言っても過言ではない、という可能性が出てくるわけであり、なるほど、身近に個人営業の芸人の例があったのであろうかなとか、納得することしかり。
そういうわけあるわけではなく、そこには愛情とか献身とかそのようなものがあるのではなかろうかという話も出てきそうではありますが、その手の行動もやはり芸の内ではないかなとか、個人に専用すぎる可能性はありそうではありますが、愛を示すことも芸であるというと、なんとなく汎用性が高く、それっぽく聞こえそうではあります、紐とかいうのではという意見もありそうではございますが。おしまいです。
「娼婦的なところを法律で規定してやれば良いのではとは思いますね」
「自由意志でやる分には良い話ではあるけれども、まあね」
「病気にさえ気をつければ問題なさそうではあるのですがね”旦那様”
その線引きが難しいのでしないようにしましょうとなるのですな”奥様”」




