2153_飴あめえアーメン、ラーメン、大蒜。
臭い食べ物はなぜに食べられるのであろうかな、普通に毒判定してしまって口に入れないのではなかろうかとか予想するわけではございますが、苦味やら臭みやらがかえって良いのであるという流れで飲食されることもあるという不思議はあるわけで、良薬は口に苦しという言葉もあるように、意外と苦いものが体に良いという関連付けというか連想が社会にあったりするのでありましょうか?食べ物の話は無駄話にしやすくて好きですね、な、今日のゴブリンです。
匂いのきついものとか苦味があるものとか酸味が強すぎるものとか子供は苦手ではあるのですよね、いやまあ、結構なんでもあなたは食べますが、むしろ下手物喰いでもあるのではないですかね?今日も元気可愛いですな。
味は関係なく体に良いものを求めるという感じであるのでしょうか、不味すぎるものは流石に食べられないのではないかとは思うわけではございますが、一度口にして体が慣れてしまうと大丈夫になるとか、一度とは限らないのですね、何度か口にして慣れてしまうというか、癖になってしまうような食べ物やら飲み物は、あったような覚えがございます。
となると、これは文化的な環境的なあれこれが関わってきていることになるのであろうかなとか、周りが昔から食べてきたのでもしくは飲んできたので、そのまま飲食を続けるようになったという感じでありましょうか、伝統とか習慣とか、もしくは惰性とかでありますかね?それが採れやすい環境にあったというものもありそうではありますが。
特別であるというものもあるのではないかなという予想もできますね、とてもまずい、とことん苦い、えぐい、酸っぱすぎる、辛すぎる、そもそも味が混沌としすぎているという感じになってしまうと、好奇心で口にするような方々も一定数存在しそうな気がいたします。
で、それを食べることやら飲むことやらが、成人への通過儀礼であったりするような流れになってしまう、こともありそうではあるかなとか、こう、薬めいたものを一息に飲んで、酩酊しなければならない、とかの文化は結構ありそうな気がいたしますし、実際に観察できるのではないでしょうかね?
意識を朦朧とさせて、もしくは擬似的な死を体験させることによって、ある種の覚悟を完了させるような流れになったりするのではなかろうかとか、予想するわけでございまして、いやまあ、探偵小説やら、推理小説やら、怪奇小説やらであるなら、この成人への儀式が人格の選別になっていたりして、ふさわしくないものは、事故に見せて、消去させてしまうというか、切り捨ててしまうという文化であるとか、または洗脳し直してしまうとかの、やり口が見え隠れするという流れも、ありそうではありますが。
大人にならなければ摂取してはいけませんよというような嗜好品やら飲食物は、実のところ逆で、それを平気な顔で飲み食いしなければ大人として認めませんよ、というものもあったのではなかろうかなとか予想するわけでございますが、いやまあ、お酒は違いそうではあるなぁと、これは純すいに娯楽であったわけで、身体ができていなければ、毒が強すぎるので規制されたとかの感じでありそうではあり。
それらの災いと申しますか、身体への悪影響は結構早い段階で判明していたのではないかなぁと、少なくとも酒の悪徳は結構早かったんじゃなかろうかとか、二日酔いという感じかもしれませんが、いやまあ、確実に寿命を縮めていたんじゃないかという予想とか実感があったのじゃぁないかな?と想像するわけでございまして。
なので、苦味を薬に感じるようになったのではなかろうかなとか、ちょっと飛躍しているわけではありますが、ちょっと味覚に衝撃を与えるようなものとか、胃腸を整える、休ませる成分が入ったもの、に苦味があったというか、苦味そのものが、吐き気を抑えるような働きがあったとか、なんとなく効くような気がする匂いであったということではないかなぁと。
これを飲んだからもう大丈夫ということを印象付けるために、はっきりとしたいつもの食べ物とは違う味が望まれてきた、ということかもしれないとか、ぼんやり連想しつつおしまいです。
「水よりワインの方が安全という地域がありそれと宗教が結びついた感じではある?」
「味付けそのものに薬効があるという話もありますね」
「ワインは既得権益ですからね、宗教側の。飲むことは禁じにくい?ですか”旦那様”
味がそのまま体調を制御するようなこともありそうではありますな”奥様”」




