2135_ほすぴたる、終焉、ぴたぴた、畳の目、けば。
終わりをどこで迎えるのかが最後の選択になるというかそこに至る道を探し始めることになるのが盛り上がりであるとかなんとか、有終の美を飾るということを考え始めるとそれは後ろ向きではないかなとか、いやまあむしろ前向きであるから前のめりに倒れふそうとするのであろうかなという予想もございますが、巻き込まれる方は迷惑なはありますのでひっそりと消えてほしい気はいたします、私は最後に思いっきりはしゃぐような気がしますが、前言とは?なゴブリンがお送りするいつもの無駄話でございます。
未来しかないというか、永劫に続く先しか見えない幼児の性格は捻くれてしまうのではなかろうかとかそこまで深く考えないというのが正解なのであろうかな、今日も元気かわいいですな。
最後は大切なものであり特別であるというこだわりやら思い込みやらがあるのであろうかなとか、唐突にいきなり目前に衝突的に発生するものでありそれを意識できなことも多いというか現実的にはその瞬間はわからないだけでありある意味幻想と言いますか浪漫的なものであることには変わりはなく、趣味に走れる可能性が高いわけであり。
そこで終わってしまって良いのであるならば後のことは考えなくてよく、究極的に無責任に立ちふるまえるという利点があったりまあ欠点でもあるわけでございますが、要は無敵状態であるということであり、なので最後の最後に体力があまりまくっていると迷惑の度合いが引き上げられてしまうので、それを削ぐ必要があるという、面が社会の安定という構造の一面であるのであろうかなとか。
爆発的に刹那的に破滅的に行動させないために、その分の体力を何かしらの方法で消耗させなければならず、それは別に善悪やら正邪やらは関係ないところの熱量そのものを見ているだけの話であり、むしろそこにそれらを無理やり当てはめることによって効率良く勢いを削ぐことができる、可能性すらありそうであり。
無駄ではないのかというとむしろ無駄を生み出すための論理ではあり、仕組みではあり、やり口ではあり、目的である、のであろうかなとか、意識してかしなくてかはわからないわけではあるけれども、結果としてそうなってしまっているということは往々にあるというか大体全てがそうなってしまっているという意味合いでもあるのではと、予想するわけであり。
資源をどう消費していくのかという話でしかないわけでございまして、節制するか暴食するかの違いくらいしかなく無くなっていくことを止めることはできないわけであり、これは時を戻せないという根底の設定から避けることができないわけであり、もしくは、消費することが時を進ませることと同じ意味であるから、そもそも分けて考えることができないという言い方でも良いのかも知れず。
使い切ってしまったらどうなるのであろうかなというと、実のところ新しく時が進み出すだけであり、空虚に満たされてしまったならばそれから反転していくだけの話ではあるのかなとか、その瞬間はまさに一瞬であり途切れてしまっているという認識にはなるわけではあるけれども、そもそも何も何処も何時も繋がっているものはなく、断裂したものが瞬間的に並んでいるだけの話ではあり、特別なものではない、とも言えるのではなかろうかなとか、想像するわけであり。
要はその波がどう動いていくのかを注目した方が良い場合があるのかなとか、いやまあこの場合は良い悪いではなく、どう価値を見出していくのかという話でもあるのではあるけれどもそれは意図的に行うことはできず、周囲の情報がそれを導き出してしまうというか、制御できない思考に振り回されることになり、客観性はそれを認識できなものが観察してこそ成り立つという、矛盾に満ちたものに支配されかねなく。
なんにせよ、全て特別ではないということであり、逆説的に全て特別であるとも言えるという、言葉遊びにしかならない世界であるのではなかろうかなとか、理解できないということが理解できるかという話でもあるのであろうかとか、言語化できないことが正解であるという話でもあるのではなかろうかなとか、むしろ確定されないからこそ、滅びないというか、続いてしまっているように見えるのではなかろうかなとか。
必ず途切れるのであるから、安心して存在することができるという話であり、相互に干渉し合うことがまた確定されるのであるから、ゆっくり眠ることができるとか、まあ、よくわからないということがわかった時点で、おしまいにしましょう。
「全知であるという神を作った時点で無知なのではあるわけで」
「知らないということを知ることが最初ではあるけれども最後でもありそうな?」
「存在し得ないものを想像した時点で大体完成してしまっているのかもですな”旦那様”
その辺りは循環していそうではありますな”奥様”」




