2128_かりんこりんぼきん、何を折る?
諦めさせるというか思考を停止させるように促すような環境を整えることで一時的に安静にさせるというか沈静させると言うか無気力化もしくは無力化させることは人道的にはどうなのであろうかなとか暴力が伴わなければ良いのかと言うかそれは肉体的には無傷でも精神的にはかなりの障害を与えてしまっているのではなかろうかとか、ただ目には見えずらいのであるから証明がしづらい立証が難しい客観的な判断もそうであるけれども本人ですら傷ついていることに気がつかない場合もありそうではあるかなとか、ぼんやりと連想しつつ始まる今日のゴブリンです、心の傷治療していますか?
子供心にも傷つくというか子供であるから傷がつきやすいと言うことではあるのでしょうかね、それを躾と呼ぶかどうかは、環境と言うか社会の共通認識が決めると言うことではあるのでしょうが、いやまあそこまで泣かなくても良いとは思いますよ?今日も元気可愛いですな。
感情の暴走によって心の自傷があるのであるならば外的に何やら処置をしてそれを止める、凍結させることが助けになるのではなかろうかと言う話でもありますが、それよりも安全に暴走させることの方が為になる場合もあり、泣きたい時には思い切り泣かせた方が良いとか怒りを我慢させることはないとか、物にあたることは避けたほうが良いのではとは思考しますが、それ用のものがあるならば妥協できる行為ではあるのかとか。
その流れを客観的に理解できるようにする名前をつけて安心させる心の動きを脳みその反応やらそもそも原因は何であるのかと言うことを紐解くことによって、分解解説することによって安易な暴力性を封じ込めてしまうというか対象を逸らしてしまう破壊的な破滅的な行為に至らないように筋道をつけられるようにするとかなんとかが、社会が生きていく上では必要なのであろうかなとか。
規律に沿った怒りの解消方法を模索するような感じになるのでありましょうか、行動の原動力に変えてしまうような感覚でありましょうか、ある意味ごまかしではありますが、短絡的なそれにならない為には必要な行為ではあるのではなかろうかとか、いやまあ、時には短絡的に直接的に暴力的に振る舞う方が利益が大きくなる場合もあるのではありますが、有り体にそれは言って、確率的にうまくいく可能性が少ないものでもあり。
大体はそのまま感情的に衝動的に行動することが不利益につながるのでそれを避けるように行動するもしくは思考することは正しいわけではあるけれども最適解を全ての方々が取っているとそれはそれで特異な行為が発生せず社会とか構造とかが刷新されない更新されない変革が訪れない訪れるのではなく成されないと言ったほうが近いか?
予測していないものの組み合わせがあるからこそ変化が訪れるのであり予想通りであるならば、それは生きているとは言えないのではなかろうかとか、予定通りにしか進まない計画に何の意味があるのかと言うと、それはそれで安定やら基盤の構築やら快楽を生むのではありますが。
適度に埒外があることが大切であり全てが出鱈目であったならそれはそれで困るのではなかろうかと言う話ではありますが、そもそも出鱈目であることが、無茶苦茶であることが前提であるならば、そうであることによって逆に安定してしまうことになり、秩序があるからこそ型破りができるのであるかなとか、意表しかつけないのであるならばそれはそれが常道であることになり、定型化してしまう弊害が生まれるわけであり。
異常しかないのであるならばそれはそれが正常であるという話になる可能性が高くいやそういうものではないであろうという疑問を持つものもいなくなるという話であり実際にそうなるのかとなると実のところ社会的全体にそうではないであろうと言う客観性が後から生まれただけで当時はその歪みが異常が真っ当であると捉えられていた場合が実際に歴史上観察できていたりするわけであり。
むしろ全体が異常であるという方が多いのではなかろうかなとか、共通認識はそこ儚くどこか狂っているものがあると言うか、その他大勢という狂人が社会を作っている、健常者という狂人であるという捉え方もできるという意見があるようであり、こうでなければならないという常識を定めてしまっている狂い方をしているという見方はできるわけであり、なるほど、そもそも思考が自由にならない時点で十分いかれているのであるかなとか、いやまあ、そうすると、まともな精神というものは存在できなくなるという、見立ての問題ではあるのかなとか、ぼんやり思考を発散させながらおしまいです。
「狂気の産物を崇めるのが宗教の醍醐味ではありますね」
「正常であると思い込む狂気があるとかなんとか」
「混沌に方向性を与えるという狂い方は結構幸せではないでしょうかね?”旦那様”
自覚していればいくらか過ごしやすいのではないでしょうか?”奥様”」




