2122_白馬の王子様は星の玉子様になれないので駄馬。
別に副題に意味はないことはいつものことではございますが、毎度毎度目次として役に立っていないというところに価値があるのではなかろうかという話ではありまして、くじ引きに近い感覚で読んでいかれると良いでありましょうか、頭脳がいかれているのではありませんかというと少し丁寧になるのでしょうかね、そもそもいかれているというのは何が語源なのでしょうか?逝かれているなのでしょうかね?不穏当な発言になりそうではありますが、法律で禁じられていないのであるならばそれは表現の自由として使用の範疇に入るのでありましょうか?いつもの通り自然にぎりぎりを攻めていきなんとなく踏み越えているかも知れない話題を選んでいく所存のゴブリンでございます、いやまあ普通に危ない。
子供が意図しない流れで差別用語を発することはありそうではありますが、実のところそのままを表現しているだけで他意はない場合がありまして対応に困ることがありませんかね?まあやんわりとその意味合いを解説して指摘しているわけではありますが。今日も元気可愛いですな。
どこかから何かすごい存在が現れて問題を一切合切解決してくれるということを夢想することはそれほど珍しくはなく、宗教的な話というわけではないのですが、それも含まれるとは思いますが、天才が世の中を変えて良くしてくれるということを期待する流れは、これはまあ実際に観察されることもありまして、兎角そのやり口は目立つので物語として残しやすいということもあるのであろうかなとか。
前にも話題にしたことがございますが、実際の話、わずかな天才、この場合はその時のひらめきと実効性が噛み合った奇跡のような瞬間が訪れる環境を意味するわけでございますが、世の中を変革して大幅に改善するもしくはその種を創造することによって、文明やら社会やら大きめの群れが進歩していった事例は結構な数に上っておりまして。
誰がそれを考え出したのかがはっきりしないまでも、おそらくほぼ個人の発想から始まっているのではなかろうかという事例もやはり多いように観察できるわけでございますれば、基本社会というものはそのような天才というものを十分に活かすような構造にするべきではなかろうかなという発想になるわけでございます。
がしかしこれまた前に話題にしたこともあるわけでありますが、安定した社会というものは異物を嫌う厭う傾向にありまして、それはそうですね、変化しなければ資源の浪費が少なくなる場合があるわけでありますし、対人関係やらに費やすそれも少なくなるわけでございますれば、例外を否定して除去することは、これはまあ当然の話であります。
そうなると天才という異物が弾かれて滅びてしまう、画一化された人格を求める育成する環境によってそもそも才能が生まれない、鍛えられない、直感が遮られることもこれまた容易に想像できるわけでございますれば、この辺り、どう調整をつけていくのか、均衡をどこで持つのか、塩梅が大切になる、のではなかろうかなとか。
つまるところ素晴らしい何かが全て解決してくれるのを待つのにも技術が必要なのではなかろうかなという連想が生まれるわけでございまして、心構えというものもあるかも知れませんが、それにつながる構造を事前に用意しておくことが必要なのではなかろうかなという発想になるわけではございます。
作られた天才には意味がないのではなかろうかという意見もございますが、そもそも結果さえ出るのであるならば、天然でも養殖でも問題はないのではという意見もまた正しいわけであり、そもそも論から言うならば、個人の才覚に依存する構造を作り上げることに対する危険性はどうなっているのかとかにはなりそうではございます。
これはまあ、必ず暴走すると言いますか、危険な状態になることは間違いなく、むしろそうでなければ次の踊り場には辿り着けないと言う、安定を求めるのであるならば、その前に、混沌やら混乱やら破滅やらを乗り越えていかなければならないのではなかろうかなと言う発想が、この天才棚から牡丹餅的思考とともにありそうではありまして。
落ちてくるように調整する棚やら、瓢箪に出入りできる馬やらを、用意してからその展開を待っていくような流れを、どこかで作らなければならないのであろうかなとか、いやまあそれが意図してできるなら正しくそれそのものが天才ではなかろうかと言う意見もまた正しそうではあり、堂々巡りになりそうではあります、おしまい。
「多くの凡人を犠牲にすることを前提とした構造が宗教団体でもあるわけで」
「些事に悩ませないようにさせる学問系の団体も必要ではありますね」
「犠牲と言うとなんですが、まあ献身を美徳とはしておりますな”旦那様”
余計なことにリソースを割かせないと言うわけですが、どうなのでしょう?”奥様”」




