2121_いわくい、黒砂糖、砂を吐く。
他の生き物が食べられないようなものを主食とするならば生存競争に有利であろうという戦略で種を連綿と長らえてきたような方が実際に観察されるわけではありますが、あれはまあ結果的にそうなったというだけの話であり、狙ってやったのかとと問われると首を捻ることになるのではとか予想するわけでございます、進化論というものはそういうとこ路で根本的に見方が変わるのではなかろうかなとか、すでに多くの方から言われていることではございますが、などと、進化の過程をひん曲げているような、なまものであるところのゴブリンが厚顔無恥にお送りする午後のひと時です、無駄話ですな、こんにちは。
そう、だからそれは食べられないものであるわけです、口に入れないでくださいというかその強烈な苦味が感じられるのによく舐めようとしましたな。今日も元気可愛いですな。
食べられないことはないけれどもそうすることに苦労する食材もまた最初に食べた方が偉いのではなく満遍なく全て食べていた中たまたま今日まで食べる習慣が残ってしまっただけであり、古代では常識的な共通認識として当たり前な食べ物であった可能性が高いわけであり、いやそれでも毒があるものをそれを無害化するやり口を開発したのは、すごい話ではあるのかとか、想像しているわけでございまして。
どうしてそのような発想に至ったのかというと全く想像がつかないものから、多分こうだったのじゃなかろうかなという推測が立つものまで千差万別ではありますが、一様にしてその根底にあった事象というものは飢餓であったのではなかろうかなということが想像できるわけでございまして、食べるものが少なかったのでどうにかして食べようとしたという、ある意味生存戦略というか本能に直結した理由があったのであろうかなとか、ぼんやり連想するわけでございます。
一方で、娯楽であった可能性も高いわけでありまして、毒のあるようなお腹が壊れるような死ぬような食材、いやまあそれを食材と呼んでも良いのかどうかという話ではありますが、一種の度胸試しのような役割を果たしていた可能性はあるのかなとか、成人としての通過儀礼としての文化的、不味い食物という立ち位置になってしまったものがあったのかも知れず。
さらには、体には悪いということがわからないまま、酩酊感やら興奮、悦楽、覚醒物質を求めて食していたという可能性もありそうではありまして、因果関係がうっすらとしかわからなかったというか、悪影響を持ってしても利益が、快楽が優先してしまったという可能性もありそうではありまして、それらの食材を好んで食するようになれる環境、余裕のあるそれが整った結果生まれた悪食とい可能性はあるかなとも予想できるわけでございます。
代表的なものが飲酒であるかな、酒精はこれは実のところ明らかに毒性を擁するものでありますが、その独特と申しますか、脳みそを揺らす快楽やら習慣性やらが、嗜好品としての地位を確立させてしまったということであり、これの飲用ができるということが文化的な成長、社会の余裕というものを計る指針にされてしまっているという可能性が出てくるわけであり。
ただ、その弊害も結構早い段階から判明してきているわけであり、制限されるようにもなるわけでありまして、ただ禁じられているからこそ美味しいという抑圧からの悦楽というものも働いてしまい、その純度と申しますか、快楽に対する要求やら段階が跳ね上がっていったという歴史もありそうではありまして。
擁するに手に入りにくい、もしくはそのままでは食べられず、飲まれず、多種多様な工夫を繰り返し施すことによってようやく、飲食することができるような食材を、嗜好品とするような、余裕のある社会が持つ文化としての側面から、開発された悪食もまたあるのではなかろうかなということが想像できるわけでございまして。
そしてそれは安定した社会が終了してしまった場合の非常食としての側面も併せ持ったものがあったりもしたのではなかろうかなとか、つまるところ、嗜好品として開発されたものが飢饉対応食として意味を変えたからこそ、長くその歴史に残っていったのではなかろうかというものもあるのではなかろうかなという予想もできるわけであり。
逆にすでに必要もない、不味いお品書きであったとしてもその当時の苦労を忘れないために伝統文化的に残していくという、流れもありそうではあります。この場合は美味しくしたらいけないというわけであり、食べたくはないなぁという普通の感想が返ってきたあたりでおしまいです。
「神様が下さったものであるということで、味の不満を逸らすやり口はありますね」
「必要な栄養が取れればよいという発想の方もいますね」
「むしろ美味しくしてはいけないというまでありますな”旦那様”
それはそれで尊重する意見ではあります”奥様”」




