2118_うちうちの話で、むちむちなぴちぱち。
肉感的であるのは健康的なのであろうか、いやまあ、不健康に肥満体である場合もあるわけでございますが、脂肪に覆われた筋肉というものもございますので、その辺りは鍛え方によるということであろうかな、とは思われるわけではございますが、太るのも芸のうちという言葉もどこかにあるのでありましょうかね、大食は十分芸であった時代があるようではありますし、なんなら現在でも十分見せ物にはなっているようではございますが、暑さで食欲が失われていませんか?水分はしっかり摂りましょう。という感じで、今日もゴブリンがお送りします。
子供は水分をこまめに補給しなければいけません、保有できる筋肉が大人に比べてかなり少ないからです、がまあ、そこまで飲まれると心配にはなりますな。今日も元気可愛いですな。
健康的で理想的な体格とか体重とかはあるようでございまして、その辺りの数式と睨めっこしつつ栄養均衡を保ちつつ食事と運動をしていかなければならない、ようでございまして、この辺り、長生きをしたいというか、苦しくない体づくりは万人に対して有効な方策だと思われるわけであり、ならば、しなければならないはずであるのに、できていない方が多いのはなぜなのであろうかなという。
目に見えて不具合が生じるということがないということではあるのかなとか、もしくは遠い未来にて困るだけで今はそう困っていないという錯覚が、怠惰を助長するということであるのではなかろうかという予想が簡単にできてしまうわけであり、あとはまあ、今が楽しければそれで良いという刹那主義と合わせて、未来へと希望が持てない破滅主義的な何かが根底にあるのではなかろうかなという。
悲観主義的であるので、今を楽しむことになるという話ではあるのかなとか、費用対効果がはっきりしないので、行動に移せないということもありそうではあるかなとか予想するわけでございますが、その辺り、政府の広報あたりが積極的に働きかける必要があるのではなかろうかという予想もまたできるわけであり。
この場合は社会全体の構造、それを支えるための人材を長く効率的に使用するためにも必要な要素であり、幸福感を長続きさせるための、ある意味、生きるための、尽くすための、餌ともなるわけでありますから、どうにかしてそのような方向に、健康的な肉体を得るためのあれこれを、流行らせる必要がある、習慣化させる必要があるということに、なるのではなかろうかなとか。
一定の運動に対する褒賞を用意するというやり口もありそうではありまして、各種公共交通機関での料金を一定数の運動で代替するとかの方法は、すでにどこぞでやられているという話もあるようでありますので、節税するための運動とかはどうなのであろうかなという発想もまた生まれてくるわけでございまして。
一定のそれこそ保険料を軽減するために、定期的な運動へと誘導するというやり口はそれほど珍しい発想ではないのではなかろうかなとか、健康的な肉体が維持できるのであるならば、それは全体にかかる医療費を軽減できることにつながるわけであり、対処するよりは予防してもらったほうが、資源の節約になることもまた確かであるならば、そこに費用を掛ければ、効果が高くなるのではなかろうかという話ではあるわけでございます。
もちろん適切で、無理のないという条件がつくわけではありますし、当然発生する不正に対するあれやこれの対処も必要とはなるわけでありますが、ある意味、習慣化されればそれはある程度許容できる範囲になるのではなかろうかなという、予想も十分できるわけであり、意外と実現性が高い発想ではなかろうかとか、すでにどこかにありそうなものではありますが。
逆に非運動税金とか用意するやり口もありそうではありまして、一定数の運動量を税金の代わりにしてしまうわけでありますが、そうしなければ、余分に徴収されるとなると、これは怠惰を抑制できるようになるのではなかろうかという、発想は自然い浮かんでくるものであり、いやまあ、そこは個人の意志でありましょうという反論もありますが、社会全体の利益、公益であるという理論を展開すると反論も難しいのではなかろうかなという。
節税体操とか語句としては結構面白そうではあるかなとか、そんなことを考えつつ、家事そのものが運動に含まれる場合も計算に入れて欲しいかなとか、連想しつつ、おしまいです。
「筋肉は裏切らない宗教とかは流行りそうではありますね」
「自らを律せないなら、他者に委託すれば良いという発想はありますね」
「すでにどこかにありそうではありますな”旦那様”
マネジメントをしてくれる存在がいると便利ではありますな”奥様”」




