1954_端っこが美味しい、組織。
旨味が凝縮している箇所は端にあるのではなかろうか、とか。最前線ということは実は端であり、末端であり、一番何かが多いところではなかろか、価値があるのではなかろうか、逆に最後尾もまた然りとか何とか、いやまあ、真ん中が一番あんが詰まっている可能性があるのでそこの方が良いのではなかろうかという、発想もあるわけであり、これは好みの問題なのであろうかなとか、などと、ぼんやり考えつつ始まる今日のゴブリンでございます。
子供は結構はじっこが好きなのですよね、数が少ないから貴重であるという発想もありそうではありますが、歯ごたえがあるものが良いとかでもあるのでしょうか?食べすぎないようにしましょう。今日も元気可愛いですな。
受けるのであるならば端っこを増やせば良いのではなかろうかという企業戦略はそれほど間違ってはいないわけであり、無理やり端っこばかりを生産するということになるのであろうかなとか、無理ではなくわざとという話になるわけでありますが、その結果中央の味を誰も知らないような製品が作られたりするのでありましょうか?
極端に走りすぎる行動もありそうではありますが、どこかで誰かが止めているのであるかなとか予想もできるわけでございまして、いや、これは止めきれなかったんだろうなぁというような商品もまた多いように見受けられるわけでございますが、なにが受けるかわからないという楽観的な思考によって突き進んでしまった可能性も高いのであろうかなとか、ぼんやり想像するわけでございます。
末端のことがわかっていないので変な指示が出るという話もあるわけでございますので、どのような端っこが好まれるのか知らないままに、話が進む可能性はあるのではなかろかなとか、ただ、端っこであるということだけが守られているので偶然売れていくという話にはなりそうではあります。
前線の様子を知らないまま後方で指揮をするというものにも似ているとか、言えそうではありますが、多分結構な違いがあるのであろうかなとか、比喩としては正しいのであろうかなとか、硬めの端っこに対して、柔らかめの中央ということであるのであろうかとか、いやまあ、融通が効くのは実のところ端っこの方であるということもありそうではありますが、現場の判断が美味しくなる場合も多いのでありましょうかねとか。
組織規模が大きくなってくればくるほど意思疎通が難しくなるということはまあ、それほど予想し辛いものではなく、当然そうなりますよね、と、ではどうすればよろしいのかとなると、これは根本的な対策は難しく、意思疎通は十分に行われないけれども結果として問題がないようにするしかない、のではなかろうかなとか。
これは忖度をするということではなく、目の前のことを処理しただけで全体が回るように構造を整える必要があるということであるのではなかろうかなとか、できるだけ意思が介在しないようにしましょうという話ではありまして、現場での工夫は阻害しないようにしつつ、全体への影響がなくとも良いようにするような感覚でありましょうか。
良いことであるから全体に広げようという試みが他の現場では合わないので結果として非効率を生み出すことはままあることでありまして、その場所独自のやり方として容認した方が良いのではなかろうかという判断ができる必要がある、かもしれません、しかし、一方でその独自性と呼ばれる方策が、著しく現場の状態やら環境を悪くしているもしくは長期的に見て看過できないような状態であるならば、これはまた放置することが問題になるわけでございまして、この辺りの見極めが大事になるのであろうかなとか、想像するわけでございます。
その辺りに目を瞑って、長期的に見てそれほど損が出ないならば、あえて改善を試みないという少なくとも組織的に上層部から働きかけない方が良い、場合ももちろんありそうでありまして、この辺り現場との話し合いというか意思疎通が難しいことも踏まえて取り組む必要がある、のではなかろうかなとか、つまるところ時間がかかることが前提であり、それを成している間に周囲の状況が変化して、無駄になることも多い、あたりも織り込んで進めていかなければならないわけでございましょうか。
抽象的に構造を改善していくと、どの状態でも環境が変化しても対応できる、のではなかろうかなという話もあります、が、これはこれで即効性がないことが多そうでありますので、評価が難しく持続しない、という欠点があるかなとか、何とか、ぼんやり連想を発散させておおしまいです。
「対面で話しても誤解することが多いですよね」
「基本伝わらないという前提で話をする必要があるとかでしょうかね」
「ましてや人伝では必ず意味が曲がりますよね”旦那様”
具体的に欲しいものを言った方が良い場合がありますな”奥様”」




