1591_なかなか大変、そとそと余裕。
お気楽でも良いかもしれません、渦中であるなら慌ただしく落ち着かないわけでございますが、端から覗いている分には良い見世物であるとか、娯楽であるとかは、結構本質ではなかろうかなと、他人事であるからこその環境もあるのであろうなぁとか、まあそれほど奇抜な思考ではないわけでございますが、そのような凡庸なあれこれをひねっていきながら始まる今日のゴブリンでございます。
現実逃避をしているのではありません。ゆっくりと慌てず騒がず、後始末をいたしましょう。大丈夫です私もお手伝いをいたしますので。今日も元気可愛いですね。
客観視が極まってきますと、渦中の存在であったとしてもその状況を楽しむことができるのではなかろうかとか予想するわけでございますが、鈍感に見えるところがなんともいやはや如何ともしがたく遺憾に思うわけでございます。残念なのでありましょうか無念であるのでありましょうか、別に悪いと思っていないというご指摘もございますが、事実ではあるものの、物事の本質はそこではないのではなかろうかと、愚考する次第でございます。よしうまくごまかせましたかね?
それをまともに答えてはもしくは応えては遺恨が生じてしまうという場合は確かにあるのであろうかなと観察されるわけでございますが、言葉尻を捉えて反論することを主体にしている対話と申しましょうか、断絶と申しましょうか、それに対応するためには、意味を捉えられない、魑魅魍魎な返答をすることが正解となる、こともありそうでございまして、意味がわかりませんと言わせることが狙いであるのでありますから、もっともらしく聞こえて内容が無い答弁に終始して時を稼ぐわけでございます。
時間は有限であるわけでございまして、答えたくない応えたくない場合には時間切れを狙うことはこれは基本的な戦術と言えなくもなく、卑怯ではなかろうかとか、評価されても、それしか手段がないように場を整えられてしまうとこれはまあ、最善手たり得ることになるわけでございまして。
そもそも対話をする気のない相手にまともに議論をする方が時間の無駄であるわけでございまして、ある意味信頼関係ができているのではなかろうかと、言葉のやり取りが有権者に向けての演出に過ぎず、建設的でなく論理的でなく、ここで文学的であるならばまだ耳障りが良いという利点が生まれる可能性もあるわけでございますが、それも滅多になく、一体何をしているのであろうかというような冷めた目線を集めるだけになっている場末の喜劇劇場的な情景を作り出している、可能性が高そうであります。
それはそうでありまして、政治家という職業の技術としては、票を集めるために雰囲気を動かす、作る、大衆を誘導することこそが主として求められるわけでございまして、よく考えなければわからない、もしくは大量の資料を必要としそこから読み解ける予想を、ある程度前提の知識がなければわからないようなそれを、知らしめる、それこそ議論というようなやり口には向かないわけであるのでは、と予想するわけでございます。
本来ならば、そのような議論ができる素地を多くの有権者が持つようにしたのちに、政策論争をしつつ、利点、欠点を把握しつつ選択し実行するための人員に投票するという段階を得ていくことが民主主義というものであるはずであるわけでございますが、この大前提としての万人がそれを読み解くことができる、客観視することができる土壌が作られていかないことに、構造的な欠陥があるのであろうなと、端から観察して連想するわけでございます。
そこを蔑ろにして雰囲気だけで政策を決定させようとするからこそ、構造の歪みが生じて広がっていくのであろうかなとか、そもそも失敗しない政治はないという前提が共有されていないことが問題ではなかろうかとか、いろいろ連想が発散したあたりでおしまいです。
「神様でさえ間違えるという立場で宗教を作ることもありますね」
「失敗を認めると責められるからこそ、そうしないわけですね」
「間違いからも良いものが生まれることがあるというスタンスですかね”旦那様”
ミスを報告、周知すると逆に褒められる構造が必要となりそうですな”奥様”」




