1565_かおりゆたか姉弟とか商品。
人名にしてもおかしくないような名付けで商品を作成するやり口は、消費者に親しみを見せる効果があることはそれほど間違いではないようでございますが、同じようなもしくは同様の名前を持つ実在の人物にとってはからかわれる元になるだけであるわけでございまして、あまり嬉しいものではないのではなかろうかなとかぼんやりと想像しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
名前を呼んではいけない対象にしてしまえば、子供は健やかにからかわれずに育つ可能性が出てくるわけでありましょうか?それはそれで人格形成に不具合が生じそうでございますな。今日も元気可愛いですな。
それを如何呼ぼうかは、それがそれと判断できるのであるならばなにでもよろしいのではなかろうかと言う層と、それを間違えるなんてとんでもないという層があるようでございまして、さらにはそのどちらでもないと申しますか、時と場合によるのではなかろうかなという層が最大数を確保していることはそれほど間違ってはいないのではなかろうかとか想像するわけでございます。
こだわっている方が意見を述べる確率が高いというわけで目立っているのであろうかなとも想像できるわけでございまして、そもそもそのように公共の場かそれに近いところで意見を表明することをこだわることである要件に含めているのであるならば、発言する方は大概こだわっている方になるのでありましょうか。
つまりどうでもよろしいと考えている方とか、いささか迷惑ではあるもののこだわるほどではないという方は、発言をしないわけでございまして、もしくは、それに賛成している方も同じでありましょうか、沈黙している評価者が多いという予想はそれほど珍しくない感想ではあるのではなかろうかと、想像するわけでございます。
それほど珍しい意見でもないわけでございますが、そのように意見を表明している方のそれを大きく採用してしまうと、沈黙している評価者の顧客離れを招いてしまうことになりかねないわけでございまして、これが商品であるならば、売り上げが大きく減少する、傾向になるのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
なになにはなになにが悪いので抑制するべきである、改めるべきであるという意見は、これはそれなりに正当性があるように見えるわけでございまして、なんとすれば、すべてのものにきっかけになりうる要因が存在するわけでございますので、極端なことを言うならば、存在することそのものが影響を与えることは当然であるわけでございまして、さらに言うならば、それが無いことに対しても周囲の環境をその大小は別にして変化させる要因に必ずなる、わけではなかろうかなとか想像するわけでございます。
つまるところ理屈はどんなものにもつけることができるわけでございますれば、それを使用して自らの利益を確保しようとする行為はこれはそれほど難しくないわけでございまして、何事も可能性があるのではなかろうかと言われると、完全にないとは言いれない論理が利用されている、もしくは悪用されている、のであろうなと予想するわけでございます。
この辺り黙殺することができる程度に社会が成熟する必要があるのであろうかなとか、予想するわけでございますが、ただそれが状況に流されて、多数のことなかれ主義に巻き込まれて、本当に聞き的な状況であったもしくはその予兆であった、となる場合もございますので、何にせよ慎重に考慮し評価し対応する、必要はあるのであろうかなとは想像できるわけでございまして、なるほどそこに対処できる技術を政治というのであろうかなとかぼんやり連想したあたりで、おしまいです。
「神様にジャッジしてもらうシステムは有効ですよ」
「リソースが限られているという視点も大事そうですね」
「神様は間違えないという思い込みが必要ですね”旦那様”
人によって重要度が違うように見えることが問題を複雑にするのでしょうな”奥様”」




