1564_すん、っていつの間にか真顔。
擬態語というのでありましょうか?その様を表す音としてそうは鳴らないであろうという音がなったような描写をしてしまうと申しますか、そのような情景を表現するような何かであるわけでございまして、空を飛ぶ擬音のようなものとして、ひらひらとかでありましょうか?どーんとかもありそうでございますが、漫画的な表現なのでありましょうかねとかぼんやりと想像しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
幼児言葉がそのまま文学として定着するようなものもあるのではあるかなとは予想できるわけでございまして、観察のしがいはあるのではなかろうかなとか。今日も元気可愛いですな。
実際にはそのような音は出ていないはずであるはずなのに妙にそのような表現が似合うということはあり得る話でありまして、これは文化的な汚染であるのであろうかなとか予想するわけでございます、こうこの時はこれというような決まりがいつの間にか出来てしまっているが故にそれ以外が不自然に感じてしまう表現であるわけでございまして。
強制されるそれも無意識にというものは怖い話ではなかろうかなとは予想するわけでございまして、新しい表現が生まれにくくなっている可能性があるのではなかろうかなとか予想するわけでございますが、それほど珍しい意見でもなく、とかく新しい表現を模索して発表するような分野の方々にとっては常に意識している観念ではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
全く新しい表現にしてしまうと、理解されないと申しますか、不気味に見られてしまうという場合もございますし、さらには、受け入れられないといいますか、無視されてしまう、印象に逆に残らない、感動させられない、心に入り込めない、習慣とならない、一過性で終わってしまう、軽い、となってしまうわけでございまして、どうにかして定着しないかなとか、流行らせたいな、とか頭をひねることになる、のでありましょうか?
逆に一過性で良いというやり口もあるのではなかろうかなとか、消え去る表現であることも織り込み済みの演出である場合もありそうでございまして、延々と語り継がれる、巷で流行りまくることがむしろ粋ではないという感性もありそうではございまして、知っている人にだけ通づるような特別感が求められる場合もありそうではございます。
逆に習慣として根付かせようとするような言葉もあるのではなかろうかなとか、社会全体と良くするための標語とかはそうではなかろうかとか、予想するわけでございますが、その取り組みが怪しげに映るということもまた確かではございまして、基本自由を制限する方向に管理者側が動くことになりますので、反射的に反発する気質があるのではなかろうかなとか予想するわけでございます。
この辺り、理屈を理解して構造を読み解けるくらいの知性が必要になる、のであろうかなとかは予想するわけでございますが、つまりは相手の発言内容を正しく理解できる程度の知恵が必要になると言い換えてもよろしいかもしれなと予想するわけでございまして、また同時に伝えやすい言葉を発することができる技能も必要になるのであろうかなとか予想するわけでございます。
言葉がわかりその根拠が正しく読み解けるくらいには万人が知識やら技術やらを身につけなければならないわけでございまして、それを担うものが教育であるわけでございますが、その現状を洗脳であるという認識で一方的に拒否してしまう風潮はやはり効率的ではないわけでございまして、むしろある意味それは洗脳であることは認めて、ただ何者かの都合の良いようにそれがなされているのではなく、社会全体が成り立つための自然な行いであるという肯定的に捉えるような意識改革が必要になるのではなかろうかなとか、連想が発散したあたりで、おしまいです。
「真顔しかしない神様は親しみを持てない、場合もありそうではありますね」
「表現の自由さは保証していきたいですね」
「親しみのいらない神様も必要ではありそうですな”旦那様”
教えたがりを抑える技術はあったほうが良いですな”奥様”」




