1563_ぶんぶんぶんぶるんぶるんぶるん、ぱすん。
発動機が空回りした音のようにも聞こえるわけでございますが、本日はお日柄も良い雨模様でございまして、むしろ嵐によって花が散っている様子が風情を感じさせるような機がいたしますが、椿は三十を越えたあたりから深みが出るのではなかろうか、白黒でも赤いか白いかはわかるということは知っていたからこそできる演出であったのであろうかななどととりとめもないことを書き連ねることから始まる今日のゴブリンでございます。
人の本質は支離滅裂であるということは、幼児を観察していると確かであると判明するのではなかろうかと、なぜに泣くのでしょうね?今日も元気可愛いですな。
連想の暴走が本州を襲うような感じでありましょうか、ようは何が起こっているのかはよくわからないわけでございますが、何かに突き動かされるように騒動が発生している可能性が高いのではなかろうかと、振り返って検証しなければ、その時どのように歴史が動いたのかが、わからないというお話は、それほど珍しいものではなく。
基本勢いで行動するならばそこに悲劇が起こるか喜劇となるか、はたまた何も起こらず大山鳴動してねずみ1匹である状況になるのかはこれはまあ、運次第であるのではなかろうかと、因果関係は、後から観察できるものであり現状それが巻き起こっている状況では誰にも判別できるようなものではない、場合が多いのではなかろうかななどとぼんやり想像するわけでございます。
文章の羅列につきましても書いているうちにはそれには意味がなく後で振り返った時にそれが判明するとかはありそうでございまして、世の中の自動筆記というものの中にはこれが多く含まれているのではなかろうかなとか、あまり意図した文章というものは本質的に存在しないのではなかろうか、などと。
つまりは耳障りの良いような言葉を並べることによって、行数やら文字数を稼ぐことによって、あまり頭を使わないようにして利益を得ることができるような構造を構築することがお金持ちになる秘訣ではなかろうかなと、最初から、首尾一貫していませんよと断ることによって巻き起すことので切る方法論と言えるのではなかろうかなとか想像するわけでございます。
無責任でありますよと冒頭に断っておけば何を言ってもよろしいのかと言いますと、これはどうなのでありましょうか?その文章に何ら価値もないと言い切ったのちに始まる物語のようなものとなるわけでございまして、購買欲は確実に減衰するのではなかろうかなとは予想するわけでございますが逆に誠実であると、興味を引かれる可能性はなきにしもあらず?であらせられるわけでございましょうか?
基本記述している方としても意味を追いかけることを放棄しているような文章ではあるわけでございますが、一瞬の感情の発露を表現したとするならば、現代の芸術的な価値を見出すこともできなくはないのではなかろうかとかは想像するわけでございますが、これは詰まるところ、受け手に全ての感性を放り投げているだけでありますので、無責任極まりないわけでありますが、そもそも芸術に責任とかはいらないのではなかろうかという意見もありそうでございますし、おおむね正しいわけでございます。
それには時代を動かす力はいらないわけでございまして、隠された最もなく、社会的な役割も与えられる必要はなく、ただただ感動させることに特化されている純粋なものであることが求められている、もしくはそれすらも必要ではなく、ただ生まれてくるだけのものであり、鑑賞すら必要とされていない類のものもあるのではなかろうかなとか、ぼんやりと想像するわけでございますが、この辺り、何度でも話題にできるあたり便利であるなとか思考を発散させつつ、おしまいです。
「自然のままであることを強要することは不自然であるわけですね」
「定義をすること自体ナンセンスであるという意味でもありそうです」
「人もまた自然であるならば、それは全てそうであるということですな”旦那様”
科学するならば、定義は必要になるわけでございます”奥様”」




