1562_奇聞伝聞怪文。
奇書とかは興味があるような無いような、まったく意味不明な文字列が続いている文章とかが書籍になっているのであるならば、それは何を意味しているのかが気になるわけでございまして、ただ単に悪筆であったがためにまったく内容が判明しない物語を苦労して解読していく楽しみとかもありそうなものであるのかなとかぼんやり想像しながら始まる今日のゴブリンでございます。
それは文字ですか。現代的な芸術作品に匹敵する出来栄えのような気がしますが、感謝の言葉であるなら、誠に申し訳ありません。違いますか排泄物関係で笑うのは子供の特権であるのであろうかなぁと。今日も元気可愛いですな。
事実とは違うことをもっともらしく、参考文献まで偽造して語る遊びがあるようでございまして、現実には存在しない出版社を語ったりするとかあるようでございます。その出版社を語ることでこれは嘘なのですよ、冗談なのですよと判明する文化すら構築しているようでございまして、なかなかに侮れない歴史があるのではなかろうかなとか想像するわけでございます。
嘘を嘘と見抜けないようでは世間を楽しめませんよという立場の方もおられるようでございますが、そもそも確実に人を騙そうとするようなそれと、冗談としてのそれの境界が曖昧になってしまっている可能性もあるのではなかろうかなとか、知識の総量が増大した結果、前提のそれを持っているかどうかの判定が、かなり厳しくなっている、場合があるのではなかろうかとか、予想するわけでございます。
そもそも、深い知識とまではいかなくとも、ある程度のそれを持っていなくても生活できるように社会を構築してしまっているわけでございまして、ある意味自然な成り行きではあるのであろうかなとか、無知であったとしても生きていける、優しい世の中になっているわけでございまして、目指した世界に近づいていいる、可能性が高いのではなかろうかとか、予想するわけでございます。
思考することは資源の浪費につながるわけでございまして、少なくとも個人の時間は消費されるわけでございまして、それを無しにして快楽だけを追求することができれば、これは効率的な社会であると言えなくもないわけでございます。何も考えずにただ幸せに生きることができる世の中を、求めて皆工夫を重ねてきたり、そのような組織や構造を構築してきたりしたのであろうかなとか、想像するわけでございます。
想像力と放棄して、ただ得られる信号だけに反応して楽しんでいく、それだけで生きていける世の中というものは、これはかなり資源の削減につながるのではなかろうかなとか予想するわけでございまして、こちらからは何も消費しないわけでございまして、徹底的に受け身でありそれで満足できてしまうのであるならば、究極の計画経済が完成する、可能性が高まるわけでございます。
つまりは、生まれてから亡くなるまで、最適な刺激を何もしなくとも受けることができそれに自然に反応するだけで、社会は維持されていくのであるならば、完全に資源を循環させることができるのであるならば、これは究極の楽園がそこに誕生しているということになるのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
自らの幸せに疑問を抱かず、快楽だけを享受し、と申しますかあらゆることが快楽に直結するような構造に変化していき、自身の消滅にすらそれを感じるようになるその瞬間まで制御されるようになっていくわけで、それが不自然とは感じられなく、自由意志というものが自然になくなっていくような世の中を、実は皆が求めているのではなかろうかなとか、ぼんやりと想像したりするわけでございまして、では何のために生きているのかという問いが、無くなるまで改善が進むのではなかろうかなとか、連想しつつおしまいです。
「思考を放棄しても崩れない社会を構築すればそれはすなわち楽園となるわけです」
「自分のしたいようにしても社会が平穏なままであるように目指すわけですね」
「すべての人が幸せになれる方法を構築するわけでありますな”旦那様”
自我の喪失が平和な世界につながる場合もありそうではありますな”奥様”」




