1558_らってーら、寺かど二。
お坊さんは、説教をすることが仕事です、説経でしょうか?どちらもそれほど間違っていないような気がいたしますね。和尚さんが二人で、お正月とかも冗談としては定番ではありますが、宗教団体職員というくくりで認識すると途端に生臭くなるのはどうしたものでありましょうかとか、まあ、生きていく上ではそうならざるをえないわけでございますし、より人に寄り添っていると言えなくもなくもなくなくない?とかよく分からない連想が頭を通り過ぎるような感覚で行ってみようとここに宣言いたします。
子供にとってお坊さんというものは頭に毛がない変わったおもしろそうな人相の人という認識になるのでありましょうか。あれは剃っているのですよ?今日も元気可愛いですな。
お坊さんと言いますと仏教であるように感じられるわけでございますが、基督教のそれであっても、回教であってもそれを教えて導く方はお坊さんでそれほど間違いがないような認識でございます。要は宗教関係者であるという記号として使われているのではなかろうかなとか、想像するわけでございます。
もっとも語源からすると特定の宗教がそれに当たることは間違いないようでございますが、後に一般名詞化したのではなかろうかなとか、それとわかっていて使っている可能性もあるわけでございまして、まあ、どうせ同じようなものでありましょうというような乱暴な意見の集約先になっているという場合もありそうでございます。
からかったり、揶揄したり、そのような名称として使われることも多く観察されるわけでございまして、蔑称として使われてるような場合もありそうではありますが、その場合は、前後に貶める言葉がつく場合が多いようでございますので、坊さんとか坊主とかそのもには悪い印象はない、のではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
頭髪が少ないことを指摘するとか、決めつけることが悪口になる文化もあるわけでござまして、そうなると、それを連想する坊主とか坊さんとかの言葉も悪口に数えられる可能性も出てくるわけでございます。逆に頭髪がないことが文化的に優れているとか、価値があるとかされる文化であるならば、坊主とか坊さんとかは、簡易な褒め言葉になる、場合があるのであろうかなとか、想像するわけでございます。
それがあるよりはない方が価値があるという文化は、これはある意味満たされている場合のそれによって作られる場合が多いのではなかろうかなとか想像するわけでございましtえ、すべてが揃っている中で敢えてそれを欠けさせることによって、存在感と申しましょうか価値観を創出する、技術ではなかろうかなとか想像する訳でございます。
基本的に頭髪は加齢とともに薄れていくように観察される訳でございまして、どうあがいても最後にはなくなるものであるとすると、残っていることに価値を見出すことになる、のではなかろうかなとか予想するわけでございます。または、それがなくなることにyって露見する頭蓋骨の不気味さを表している、かもしれないのではなかろうかとか、連想するわけでございます。
髑髏は死を連想するので、あまり気分の良いものではない肯定的に捉えられるものではないという文化があるとするならば、それを隠すことができる、形をごまかすことができる頭髪というものが、薄れることに恐怖を感じると申しますか、不快感を感じさせることになる、という連想は、それほど不自然ではないのではなかろうかなとか、想像する訳でございます。
坊主とかお坊さんが、死を連想させる場合も多い訳でございまして、それと関連付けて頭髪の薄さが、忌避される、という場合もありそうではあるかなとか、ぼんやりと連想しておしまいです。
「必ず訪れるからこそ直前まで目をそらしておきたい訳でありますね」
「美的な感動を与える髑髏とかを認識させると、良いかもしれませんね」
「苦しまずに一瞬で終わらせることができるように願ったりするのでしょうな”旦那様”
すでにそれを好む方もおられるようではありますな”奥様”」




