1549_奥戦卍の胸騒ぎから騒ぎ。
いつもの通りに副題に意味はありません、嘘です、連想の結果であるのでいくらか前後に繋がりがある可能性がございます。特に気にするほどではありませんが、本文との関連性が低いままであると、目次としては役に立たないのではなかろうかとか、心配になりますが、どのような内容に当たるかは運次第でありますとか言い切ってしまうと、射幸性を刺激するのではなかろうかなとか、予想するわけでございますがいかに?というような塩梅で始めようとする今日のゴブリンでございます。
階に意味がなく、いつも唐突に行動が変化してしまう理由は、深く先のことを考えていくことができないからであるという予想はそれほど間違っていないわけでございます。深い悪意はなさそうでございますが、浅いそれは確実に存在するのであろうなとは想像できる次第でございまして、叱りましょう。今日も元気可愛いですね。
連想で思いつく限りのことをただ自動筆記のごとく書き連ねているわけでございまして、そこに明確な計算はなくほとんど本能に近いただの反応である可能性が高いわけでございますが、書きつらねる言葉に責任を持つべきであるという意見もまた正しいわけでございましょうが、正直文責は保証しきれないというところがございます。
そもそもが前提として無責任で戯言であるとことわって始めている内容でありますので、それを無責任であるというと指摘されても、困ると申しますか、むしろ計画通りでございますとか意図したところでございますので何ら問題はございませんとか、仕様でございますとか言い切ってしまう場面ではなかろうかなとか想像するわけでございます。
特に何か思考しているわけではないということもないわけでございますが、吟味しているのかと言われると、明確に誹謗中傷にならないように気をつけるくらいしか注意していないという現実が立ちはだかってくるわけでございまして、かといって、誰かを貶めるように意図して振る舞うように連想が巡ることもないであろうなという予想が立つわけでございまして。
もちろん誰もが傷つかない文章を書くべきであるという意見には基本賛成するわけでございますが、それは理想郷には絶対たどり着かないけれどもそこを目指す姿勢は崩さないようにしようという文脈と同じようなものでございまして、努力目標と申しますか、高みを目指していかなければそもそも堕落し続けるだけであろうという予想に対して真摯に向き合っている結果でなかろうかとか、想像するわけでございます。
反論としては君にそれができるのかね?というものがありそうでございますが、それで稼いでいるのであるならば、当然できて然るべきであり、私はそれでは稼いでいないのでできなくとも問題ありません、とか言われるのであろうかなと、ぼんやりと想像するわけでございまして、であるならば、趣味嗜好として、商売を抜きにして語るのであるならば、何を言っても問題ないということに繋がりはしないかなとか、ちょっとまずい背景が形作られることになるのではなかろうかなと、想像するわけでございます。
発言に責任を求めることがすでに無意味である可能性があったりするのではなかろうかなという場面はありそうでございまして、その場その場で作られた即興の言葉遊びであるという前提で、綺麗に流す文化も必要になる、場合があるのであろうかなとかも想像できるわけでございまして、むしろ過度に反応することで不利益を生じさせている場合もあるのであろうなと予想するわけでございます。
ただ娯楽としての議論は楽しい場合もあるわけでございまして、結果を必ずしも出さなければならないわけではないという立場も方々がそうでない方々と混ざることによってさらに状況は混沌としてくるのであろうなとか、予想できるわけでございまして、なるほど、はたから見ていて楽しい見世物になっているという認識は必要なのであろうかなとか、ぼんやり想像しつつ、おしまいです。
「結論を出してはまずい話題もあるわけでございましょうね」
「相手を言い負かす事を議論とは言わないわけです」
「神様論とかはその類でありましょうな”旦那様”
対話する気を失せさせた方が勝ち、とはまあなりませんでしょうな”奥様”」




