1547_物愛。
単眼という意味ではないかもしれない。いつにも増して連想回路が短絡しているような気配でありますので、意味不明な文章が並んで行くことになるわけでございますが、よく考えなくともいつもとそれほど変わらないのではなかろうかという結論が出てきたりするあたり、存在意義とはとか深いように見えてそうでもない話題でごまかしてしまうのではなかろうかとか、展開を予想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
定期的にひっくり返さないといけない病か何かなのかもしれませんが、確かに楽しそうではございますね。ささ、お片づけまでが遊びの中でありますよ。今日も元気可愛いですね。
人格と投影しつつ何かを愛でるやり口は、それほど珍しいものではなく、それが人形に近ければ近いほど共感を呼んだりするのであろうかなとか、極めて似ているようなものではかえって奇妙な印象を与えることになる、かもしれなと想像するわけでございますが、なるほどこれが不気味の谷とか呼ばれているものであるのではなかろうかなとか、想像するわけでございます。
大事に何かを使い続けることは、資源を大切にすることになりますので、良いことでありましょう。となるわけでございますが、経済的な視点から見ると、新しい商品を購入しないわけでございまして、あまりよろしくないのではなかろうかと言われるわけでございます。大量消費で大量生産というやり口が、やはりやりやすく、わかりやすいのであろうかなと予想できるわけでございます。
欲しい時にすぐに手に入る上に、選択の余地があるという環境が、欲望を刺激するのであろうかなと想像できるわけでございまして、であるならば、余剰在庫を抱えて置くとが、商売上の利点となるわけでございますが、これは一方では、損失を前提とした販売方法であるわけでございますので、無駄が生まれる温床となる、ことにもなるわけでございます。
一定量の廃棄を前提とした生産というものは、これはかなり資源の無駄遣いであると言えなくもないわけでございますが、ただそもそも再生可能は範囲で収穫しているのであるならば、実は、廃棄されてもそれほど環境負荷は増加しないという場合もありそうではございます。
むしろ、それを定期的に収穫する技術を育てることの方が、省資源化への道を推し進める場合もあるわけでございまして、効率的に大量に生産することができるようになるならば、それは無駄ではなく、余裕というものに表現が変化しているわけでございます。生産速度の上昇もまた然りでありまして、必要となった場合に、大量にそれを為すことができるように技術を高めておくことは、これは生存戦略的に優位である、と言えなくもないのではなかろうかなとか、想像するわけでございます。
それは無駄遣いではなく、練習に必要な素材であったと考えるならば、これは全く環境への配慮を欠いているということにはならない、場合もあるのではなかろうかなと想像できるわけでございます。ただ一方で再生不可能であるとか、そもそも少ない埋蔵量のそれを無理に採取するような流れであるとすると、これは明確に問題になるわけでございまして、そのあたりの見極めが必要になるのであろうかなとか、想像するわけでございます。
ただ、その見極めに利権が絡んでくるとまた歪んでくるわけでございまして、決まりごとを決める組織が一番強いという言い方もあるわけでございましてこの辺り、公平性を確保する仕組みが必要になるのであろうなとか、それほど突飛な意見でもなく当たり前のそれを言い放ちつつ、あまり乱れなかったことに感心しつつ、おしまいです。
「信仰も有限の資源であるという見方ができるわけでございまして」
「人的な資源も有限であることを知らなければなりませんね」
「神様に費やせる時間が限られてしまうという意味合いでもありますな”旦那様”
その辺から生えてくるものではないと知っておいて欲しいものではありますな”奥様”」




