1543_波止場、岩礁、とてらぽっと。
泳げない海には魅力を感じないという方もおられるかもしれませんが、そもそも泳ぐことが娯楽である文化そのものがめずらしいという観点もあるのではなかろうかなとか想像するわけでございます。えら呼吸から変化したのであるならば、なぜにもう一度海に戻ろうとするのかというような疑問が根底にあるのではなかろうかなとか、少なくとも得意とする環境ではないのではなかろうか、などとぼんやりと思考を進めつつ始まる今日のゴブリンでございます。
水の感触が面白いという、その感性は予想できるわけでございます。日常ではないという特別感が良いのでしょうかね?今日も元気可愛いですな。
資源の採取その効率化を考えるに海に戻る方が良いという結論にたどり着くことはありそうでございまして、何しろ単純に陸上よりも面積が広いわけでございますので、比例的にその資源の総数が多くなるわけでございまして、また、同じく陸上で過ごすたの生物に対して競争をしなくても良いという理屈もありそうでございます。
ただ単純に目の前にあるから行ってみたかったという動因また自然な流れであったのであろうかなと予想できるわけでございまして、穏やかなそれならば入ることに抵抗はなく、工夫して進むことができるのであるならば、それをしない理由もないくらいに好奇心というものが働いていたのではなかろうか、などと想像するわけでございます。
その先に何があるのかわからないのであるならば、見に行こうではないかという思考の流れになることは、それほど不思議ではないわけでございまして、ただ、それは文化によっては少数派になることも多かったのではなかろうかなとか、何故ならば安定の逆に位置する動機になるからではなかろうかとか、予想するわけでございます。
その無謀とも言えるような冒険心を刺激しなければ、その群れには停滞しか待っておらず、遠からず、滅亡の危機にさらされる可能性が高くなるわけでございまして、若者の向こう見ずな行動はこうして、肯定されるのであろうかな、もしくはそうされなくとも、非難されても結果的に資源の採掘先を増やすことになるのでのちに評価されることになる、のであろうかなと想像するわけでございます。
古いものを否定して、新しいものを受け入れることが発展であるという立場に立つならば、そのやり口がすでに行われていたものであるのかどうかと検証する必要があり、詰まるところ歴史を学ぶ必要があるわけでございますが、それそのものは過去へと向かう学習であるわけで、先を見たい人格とはたちまちに衝突することになる、わけでございます。
基本それはやり尽くされた、探索を徹底的にした後の道ではないかと疑念を抱くことになるわけでございまして、こうなると逆に新しいことをすることができなくなるわけでございまして、同じようにやってみてすでに失敗していると知ったなら、似たようなことができなくなるわけでございます、これは開拓に対して負の要素となる、のでありましょうか。
当時とは環境が違っているので、それはうまくいくやり方に変わっているかもしれないと楽観視できるのであるならば、試してみようとなるのでありますが、なまじ過去の事例を知っているが故に、冒険に走れない、そのような場面も多そうでございます。そこで勇気を出して一歩踏み込んだものが成功するのでありますよ、とそそのかされて動かされる場合もありそうではありますが、それは誰が得をしているのでありましょうか。
小さな規模で少しずつ試すということが必要であるのであろうかなとか、想像するわけでございまして、計画を立てて、実行して、評価してみて、改良して、そしてまた計画を整えて、とやりながら規模を調整することが必要になる、のであろうなとか、それを煩わしいと一足飛びに成果をもとめて資源を注ぎ込むことができるものが若者であるのであろうかなとか、この辺りどう誘導するのかが、社会管理者側の仕事になるのでありましょうかね?などと思考を発散させつつ、おしまいです。
「先が見えないことで果を想像して神格化したりするわけです」
「未知を既知にすることに明確な動機はいらない場合もありますね」
「境界がはっきり見えることによる諦めが宗教になったりしますな”旦那様”
その行為が全体の負担になるから禁止されることもありそうですな”奥様”」




