1536_裃を攻めていこう、硬い豆腐。
高野豆腐が焼き討ちされたら、焼き豆腐になるのでしょうか?どこかの誰かが既につぶやいていそうな小話でありそうでございますが、極論いたしますと、第六天魔王様は豆腐屋であったとかなんとか、この様な不謹慎な話題をさりげなく冒頭から繰り出して行くあたり、過去の発言を発掘されたならば怖いという立場にはなれないのではなかろうかなとか、住みづらい世の中ではなかろうかなどと嘆いたふりをしながら始まる今日のゴブリンでございます。
部屋の中で走り回ると、曲がりきれなくて転けてしまいますね。よくわかりましたね、次は気を付けましょう。今日も元気可愛いですね。
特定の職業が、また別の何かと密接に関わってしまう現象があるわけでございまして、それもその職種に関わる職能とは別の箇所で連想されてしまうものがあったり何かしますと、別の人格がそれに関わっている場合にからかわれてしまう要素になるのではなかろうかなとか想像するわけでございまして、馬鹿にされるというわけではありませんが、人によっては気分を害することになるのであろうかなとか、想像するわけでございます。
その人格に紐付けられた要素であるにもかかわらず、所属する肩書きにわざと注目することによって、奇妙な笑を得ようとするやり口でありまして、感性を少しずらして生み出される笑いなのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。そうはならないでしょうという共感を呼び起こすようなやり口であるわけでございまして。
なるほどそう連想するのかというような驚きもそこにあるのではなかろうかなとか想像するわけでございますが、それを笑いとして捉えるには、おかしみがあるとして捉えるには、共通の認識が前提としてなければならないわけでございまして、ある程度の教養が必要になる場合もあるのではなかろうかとか、予想するわけでございます。
それが必要のない、本能に近いところでの話芸とかになりますと、これはもう意表をつくという、驚かせるというあたりにしかならないわけでございまして、とにかく楽しそうにして、つられて笑うように仕向けるのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。道化師がするように滑稽な身振り手振りでもよろしいかもしれません。
そしてそれは初見である瞬間が一番効果た高く、あとはその威力が下がるのみであるという意見が大半を占めているわけでございまして、一度見れば十分であるという見切りをつけさせられる原因になるのであろうかなとか、要は驚きを主眼に持ってくるような見世物は旬の時期が狭いのであろうなと、そして、その旬は、観客が一巡りするまでは戻ってこない部類のものであるという性質も持っていたりするかもしれません。
なので常に新鮮な、驚きを用意しなければならないと、強迫観念にも似た思いにひきづられるようにして、だんだんと過激になったり、方向性を変えてみたり、道具を活用してみたりしたりして、目新しさを演出する、ようになる方も多いのであろうかなとか予想するわけでございます。
そのあたりで禁忌であるとされるような対象を笑いにしてしまおうという発想に至る場合があるのであろうかなとか、それが避けられていることには明確な理由があるのでありますよ、とか、すでにひどく失敗した過去があるのですよ、ということに気がつかないふりをして、自分だけは大丈夫とか、このくらいなら大丈夫という根拠の薄い自信に後押しされて、まあ、案の定やらかしてしまったり、後々に問題になってしまったりするのであろうかなとか予想するわけでございます。
反省して、きちんと謝って、さらには誠意を示したならば、ある程度は許される展開もあるのではないかなとかは想像するわけでございますが、安全に攻撃できると知った時の欲求が高くなる生き物でありますから、端から見物して笑っています、おしまい。
「罪を犯していないもの以外が石を投げなさいとかそのような話もありましたね」
「憎むのは罪そのものであり、付随する人格はそうするべきではないとかも」
「発言者が延々と石を投げ続けるギャグもありましたな”旦那様”
そのようになした環境こそが悪であるという発想ですな”奥様”」




