1535_そうそう、長い髪。
大陸東側の史実を基にした古典的な作品を好む方々が存在いたしまして、それなりの勢力を維持しているようでございます、戦乱の世の中を智謀と蛮勇と、友情めいたものを軸にして長大な絵巻物として存在するような印象でございますが、二次創作が噴出しすぎまして、原本に当たらなくても満足するような存在と表現すれば、想像しやすいのではなかろうかとか、上の空になりつつ始まる今日のゴブリンでございます。
おひげに憧れる年代というものはあるのでありましょうかね?それはただの剃り残しであるので、満足するものではないですよ。今日も元気可愛いですな。
それは基本的には対話不足からくる誤解が招く悲劇やら喜劇であるというものに集約されるのではなかろうか、そのような感想でまとめると大体の作品がその範疇に収まってしまうのでありまして、便利であり、つまらない感想ではなかろうかとか言われそうであるな、と想像するわけでございます。
その誤解の内容やら成り立ちが物語の特徴やら、独特の世界観やらを表現しているのではなかろうかとかは言えるわけでございますが、それは基本的に頭の悪い描写になりかねないわけでございまして、客観的に、神の視点で持ってして俯瞰できる受け手にとっては精神的な苦痛になり得ることもままありそうでございますね、と予想するとともに、似たような事例を観察するわけでございます。
遊戯をしている当人どうしよりもそばで見ている方々の方が、先を見ることができる、そのような現象が発生しているのではなかろうかと予想するわけでございますが、逆になかなに勝負をしている方々の内心を想像して楽しむことが難しいのではなかろうかとなるわけでございまして、上手にそれを為すことができるかどうかが、良い物語の特徴になる、少なくともその要素の一つに挙げられるのではなかろうかと予想する次第でございます。
いわゆる没入感とか、感情移入がされやすいように誘導する技術であるわけでございまして、上手に嘘をつけるかどうかという意味合いもあるのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。本能的にそれを為すからもおられますれば、技巧的に、それを学習して実践させるかたもおられるわけでございまして、どちらにせよ、少なからず必要になる技術ではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
もしくはそれを徹底的に排除した作品というものもまた魅力的になるのではなかろうかという予想が生まれてくることは必然でありまして、異質な、精神構造的に異物な、異なる成り立ちで構築されたそれを見せつけることによって、強く感情を揺さぶることができるのではなかろうかとか、共感をさせないことを目的とした作品というものが、存在するのではなかろうかという予想はあるわけでございまして、同時にそう想像したならば、どこかにすでにあるのであろうなとかもまた当然予想できるわけでございます。
物語において異質さを追求するよなものを創出するならば、それは理解が遠く及ばないものになるのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。伝える手段すら理解でいない、誤解も何もなく、すべからく解らない、伝わらないという独特な作風になるのではなかろうかとか、すでにそのような手法は試されて行っていることは間違い無いのではなかろうかなとも予想するわけでございますし、観察もされているわけでございます。
理解不能な情報を伝達するための道具のようなものがどこかにすでに存在するのではなかろうかなという予想はそれだけで楽しみを生み出しているのではなかろうかなとか、想像するわけでございまして、そしてそれが存在したとしても、こちらには認識できないという、絶望と希望が一緒にあるような心持ちが楽しめるわけでございます、おしまいです。
「わかってしまったらそこが終端であるわけでありまして」
「解らない事が幸せであると認めたくはない立場ではありますね」
「そこに至るまでが永遠で楽しいのでありましょうな”旦那様”
苦しくないことが幸せとは限りませんからな”奥様”」




