1532_とらとらとら、を見抜かれて毒。
先に手を出させて大義名分を用意するやり口はそれほど珍しいものではなく、予定されていた奇襲ほど制御のきくものもないと判断することもまた自然な流れであったのではなかろうかなとか。諜報の段階ですでに大きく差をつけられており、それ以上に積み重ねられてきた外交的な実力格差がついに火を吹いたと言えなくもないのではなかろうかとか、戦争に負けるにはそれ相応の理由があるのであろうかな、などとぼんやり想像しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
よろしい、ならば戦争をしよう、とばかりにいきり立たないでいただきたい、と申しますか、それで開戦に至るのはさすがにいかがなものかと。今日も元気可愛いですな。
いうまでもなく戦争という行為は、政策として愚策であるわけでございまして、資源の浪費は甚だしいは、勝敗にかかわらず遺恨はありまくりだは、人命の軽視も倫理的に歪んでくる段階まで進むは、そもそも共倒れてしまう可能性すらあるわけで、開始した時点で双方の負けが決定しているような環境破行動である、のではなかろうかなと想像するわけでございます。
短期的でかつ局所的であるならば、それは比較的有効な手段になり得るのではなかろうかと云う発想は、そもそも外交的にも政治的にも短慮であり、手抜きであり、ごまかしであるとも言えるわけでございまして、粘り強い対話を基本とする時間をかけた解放が様々な問題への対応としての王道である、ことはそれほど間違いではないのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
焦りが、闘争へと発展させている、可能性は高そうでございまして、この辺り、ある意味全てを諦めてしまっている方が救いがあるのではなかろうかとか、ひねくれた発想すら生まれていくわけでございます。対立するくらいならば、ひっそりと消えていただきたいという人格は、確かに存在する可能性が高そうでございます。
自らが生き残るそれも幸せにそうするという行為を否定することはこれは構造上不可能であるわけでございまして、個々の利益を求めることを認めあうことによって、制御発展、もしくは維持されてきた仕組みが、歴史的に積み上がっているわけでございます。逆に言うとそのようなものに支配されているとも言えるわけでございますが。
その仕組みの延長戦上に戦争という行為が鎮座している可能性が高いわけでありますから、実はそれは避けられない出来事であったのではなかろうかと云う予想もできるわけでございます。自己保全の生存本能に根ざした、行為であるならば、これは自然のそれであるのではなかろうかと云う予想が立つわけでございます。
そうであるならば、いかに巧みに理性を持ってしてそれを制御することができるようにするのかが、対処療養であるのではなかろうかなとか、予想するわけでございまして、そうなってしまう状況がまた悲劇的であるのであろうかなとかも想像するわけでございます。
より悪い状況にならないようにそれよりはましな道を進んでいくという妥協の産物であるわけでございまして、状況がそれを許さなかった、流れが止まらなかった、そして後からそれは皆が心のどこかで望んでいたと、正当化されてしまった、ような部類の喜劇的なものであったのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
それはそうでありましょう、生き残りたい幸せになりたいという本能に近い気持ちを持っている方は過半数を超えていると想像できるのでありますから、それを理由にされると何も言えない言い辛いわけで、なるほど詐欺に近いのであろうかなとか、まあ外から見ながら感想を言いつつおしまいです。
「争いは避けましょう、信者同士の」
「汚いものを排除すれば綺麗になるという錯覚があるのでしょうね」
「解釈違いで内乱が始まるだけのようではありますな”旦那様”
それは本当に汚れているものなのかという指摘をするべきでしょうな”奥様”」




