1530_銅鑼焼生クリーム魔改造。
特徴を抽出してそれを少しずらしてしまうやり口は、元の形を損なうようなものになりかねないわけでございますが、そうすることによって、地方の好みに合うような、現場の環境に合うような、工夫をしているということであるならば、往々にして許与される範囲が広い、場合があるようでございまして、原本を尊重するそうにとっては、冒涜的であるのであろうかなとか、ぼんやり想像しながら始まる今日のゴブリンでございます。
最初が何であったのか推測することが難しい作品というものは、結構身近にあるものでございますね。待ってください、もう少し考えますので。今日も元気可愛いですな。
要素を抜き出して、それを大幅に変更するのでありますが、全体の形を見るとそれほど元になったものとは変化がなく、しかし、中身がかなり変質しているというものは、新しい何かになったと言えるのであろうかなとか想像するわけでございますが、徐々にそれが変化していったならば、意外と気がつかないものでもあるか、と予想もするわけでございます。
記録を残していかないような構造であるならば、変化に気がつくこともないのであろうかなとか予想するわけでございますが、逆に頑なにそれを避けることで、変質を避けるようになるのかもしれないとか、想像するわけでございます、下手に元本が記録により保障されているからこその練習としての変革、気楽な変化が容易に行われていくのではなかろうかなとか、想像するわけでございます。
意識して変えることを避けることはできそうでありますが、そうでない場合は、変質していることに気がつかない、これは何事にもありそうなものであるかなと予想するわけでございまして、日常の何気ない仕草やら、言葉が別の何かに置き換わってしまっていることに違和感を覚える層としてはかなりの問題点ではなかろうかなとか予想するわけでございます。
でありますので、ささいなことかもしれないけれども、続く認識の変化によって重大な誤解を招く可能性があるかもしれない、それが捨てきれない心配性の方々によって、語源やら、そもそもの成り立ちやらを大切にしていくのではなかろうかなと予想するわけでございますし、それが、個人の発明であったなら、尊重するためにも、創始者の情報を残しておくべきであろうかなと予想するわけでございます。
それがなぜどのような成り行きで発生したかを記録して、考察することは、意味を守ることになることが多く、形骸化を避ける役目が果たされる、こともありそうであるかなとか予想するわけでございます。どうしてそうするのかを喪失してしまうと、その行為そのものが無くなってしまい、それによって保たれていた安全のようなものが途絶えてしまう、可能性が出てくるわけでございまして、危険度が上昇する、可能性が出てくるわけでございます。
また一方で、現状ではそれは意味をなさないような行為が、その起源の喪失によって延々と残留し続ける不具合も発生することになるわけでございまして、そのような無意味な、もしくは逆害があるのではないかという慣習をまた避けるようにするのにも、その成り立ちを記録考察することは役に立っているのではなかろうかなと、別に珍しい意見ではございませんが、予想するわけでございます。
行為やら意味の変質そのものを否定するものではないわけでございまして、環境によって、流布する言い回しはそれはそれで一つの文化であり、情報の変質は、むしろ利益を生む場合が多いわけでありまして、共通認識の爆発的な伝播に因る世界の変革は、望むところである、場合もあり得るわけでございましょう。それを踏まえて、源も大事にしておこうという安全策であるのであろうかななどと、ぼんやり想像しながらおしまいです。
「連想して発想していくことで神様に近づくわけです」
「情報が連結していき変質していくことで発展する流れになりますね」
「断裂からの悟りのみちとかもありそうではありますな”旦那様”
基本情報の伝達には誤解を含んでいますからね”奥様”」




