1528_林ご飯、デミグラス。
なぜに林なのでありましょうか?どうも語源からして英語圏のそれがなまって流通したような気配ではありますが、はっきりと人名のように捉えることができることから、創始者説やら、食堂の管理人説やらも飛び出てきているようでございまして、なかなか興味深いものになっているようでございます。たかだか二百年も経っていないような歴史であるのに、その源流があやふやになっているものなのだなあ、と埋もれていく感覚を面白がりながら始まる今日のゴブリンでございます。
本日のあれこれも、歴史的には埋もれていくものであるのであろうなのですな。印象はかなり強烈ではございますが。今日も元気可愛いですな。
当時の常識ほど後に記録として残らないのであるならば、実はそのような些細なものこそ歴史的価値があるのではなかろうかと言う発想が、昔からあったならば、後続の歴史学者にとって大変助けになったであろうなと、想像するわけでございますので、そのような資料は大切なのですよと、宣伝していくことは大切なのであろうかなと予想するわけでございます。
記録媒体というものは時間とともに劣化するものでありますので、複数複写していく必要があることは間違いなく、そしてその作業は、できるだけ簡便なものにしなければ、資源の節約から取りこぼしが多く発生してしまうようになる、わけでございます。それは増えることはあっても減ることはない、とされているからでございまして。
実質減っているように見えるのは、取捨選択がなされているからでございまして、そしてその判断の主体は、当時の方々とは違う、歴史の下流にあたる方々でありまして、当然価値観が違っているわけでありまして、微妙なずれが生じてしまう、ことはほぼ間違い無いのであろうなと想像するわけでございます。
ようは余裕を持って、もしくはほぼ全ての事柄を記録に残す必要があるのではなかろうかと言う発想なわけでございまして、同時にその膨大な資料をいかに効率的に検索できるようにするのかの技術もまた進歩させる必要があるわけでございます。その答えは既に現実世界におきまして、実行されているか、されつつあるわけでございますが。
web上の情報を相互にやり取りするような仕組みやら、連結させる仕組みやらは、それらの努力が結実したものでございまして、言葉、語句、名称、意味の連想具合は、凄まじいものがあると言っていいほどの、連携を見せているわけでございまして、知の集合体と言っても過言ではない段階に進化している、ように見えるわけでございます。
さらには記録媒体、観測機器の一般化、普及率の上昇により、日常の何気ない動作やら風景やらが、無数に収集されるようになったように観察されるわけでございまして、なるほど過程は少々目的とは違うような道筋であったとしても、結果として望ましいものになっているのであろうなと予想できるわけでございます。
資料は膨大なものになっているように見えるわけでございますが、やはり盲点はあるようでございまして、その方に必要となる情報が隠れてしまう、そもそも接続していない所に存在するようなことにもなっている場合があるようでございまして、現状道具に振り回されている状況であるのではなかろうかとか想像するわけでございます。
情報の交換蓄積検索としての仕組みは長い時間書籍に代表されるような道具に頼っていたわけでございまして、その歴史は長く1,000年単位であるわけでございまして、その積み重ねた年代に対してのwebによる運用は、まさしく大きな開きがあるわけでございますれば、まともに使用できるのに同じくらいの時間を見積もっておく必要があるかもしれなとか、適当に連想した感想を言っておしまいです。
「書は偉大である、希少価値を高めるには良い媒体ですし」
「比較的安価に作成できるようになり、文明の進歩がはかどりました」
「文字自体、特別な感覚をもたらせる道具にされていましたからな”旦那様”
流通のしやすさによって使い方も大幅に変化していったわけですな”奥様”」




