1526_アセスメメント森。
高所にはそれだけで熱量が存在しているわけでありまして、落ちると言うことは力なのであるかなと連想するわけでございます、そしてまずは上がらなければならず、その質量は同時に全て引き連れる必要はなく、少しずつ貯めておくことができ、とある瞬間にその総量でおし流すことによって、愕然とするような結果を引き起こすことができる、その善悪とか、損益とかは別としてそのような振る舞いができるものがあると、知っていることこそ危機管理になる、のではなかろうかなとかぼんやりと想像しつつ、始まる今日のゴブリンでございます。
どこからいつから溜め込んでいたのでしょうか?凄まじい執念のようなものを感じますが、なんとなくなのでありましょうかね。今日も元気可愛いですな。
一つ一つの作業が極小か、細切れに、担当するものすら変わっているようなものの積み重ねが大きなうねりを生み出したならば、その責任の所在やら、譽れやらも分散してしまうのであろうなと予想するわけでございまして、なるほど、これは悪徳ほどそのように仕向けたがるのではなかろうかなと。
報酬が欲しいのであるならば、できるだけ自分が目立つように行動した方が見返りを期待できるわけでございますが、不正をごまかすならば、少しずつ分散させて、罪を罪と認識させないまでに、矮小化させて、広く共犯させることが肝要になるわけでございまして、組織としての責任を問われた時に、それそのものを守る論理を使いやすくすることで、不利益を回避しようとする試みがあるのであろうかなと予想するわけでございます。
体制全体を非難することはその影響力の不均衡さによって抑えることができる、可能性が高いわけでございまして、強いものは理不尽がまかり通る、という悪い例に近い結果になるのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。明確な責任を取る存在がいないような仕組みにしてしまえば、どのような悲劇にであったとしても、ごまかすことができる、のではなかろうかという幻想を、持っている方が結構おられるのではなかろうかなとか予想するわけでございます。
集団になると誠実さが欠けてくるのではなく、そうする方が、効率的であるから全体を生かすためにそうならざるをえない、のかもしれないわけでありまして、ということは誠実さは、非効率であるとか言えてしまうわけであります。少なくとも短期的にはそうであることは容易に予想できるわけでございますが、長期的な視野に立ってみるならば、もしくはそこまで長くなくとも、刹那的なもの以外では、それは重要であるということには変わりはないのではないかという、意見もまた正しそうであるわけでございます。
ただ数秒後の不利益よりも、今ここにある危機を乗り越える、ことの方が大事であるという場合があることもまた真理である、場合もあり、いつもの通り、状況やら環境やらによるのであろうかなと予想できるわけでございますが、関わっている人格が多ければ多いほど、無責任になっていくことは自然な流れでありまして、いつか破裂する爆弾をどうにかして遠くにやってしまうかに腐心するその動機には同情の余地があるのではなかろうかなとか、想像するわけでございます。とかくその爆弾を作成した存在が自分でなければなおさらでございまして。
時間をかけて不正を行っていた組織があるならば、解決にも相応の時間をかけるべきであるのではなかろうかという意見もそれほど待ちがってはなく、ただ被害を受けていた方々に対しての保障が速やかに行われないようになることが、非難の声を大きくすることになり、結果として拙速になりかねないわけでございます。
その組織やら構造やらが、まともに動いているならば有効であると、そうであるならば、なおさら、慌てるべきではない、場合もあるのであろうなとは予想するわけでございますが、そもそも、不合理な組織であった場合、その方向では悲劇を生み続けるのであろうかなとか、ぼんやりと想像しておしまいです。
「間違っていないという前提でなければ信仰に不具合が生じます」
「間違いを認めあうことが議論なわけです」
「神様の思いは間違わないけれども解釈が違っていたとするわけですな”旦那様”
謙虚さや、純朴さを失うことなく理性を働かせる、のでしょうな”奥様”」




