1523_レイ、花輪、南国、常夏。
常春とあるならば、常冬やら常秋もあってよろしいのではなかろうかとか連想するわけでございますが、秋ならともかく、常に冬を肯定的に捉える文化は難しいかもしれないとも思考するわけでございまして、雪深文化圏に居住している方々におきましては、別に貶そうという意図はないわけでございます。なるほど、他勢力の妨害が少ないという利点はありそうでございます。などと連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
頭の中が常に春であるという言い方もできなくはないわけでございますが、それはそれで幸せそうに見えるのでよろしいのではないでしょうか?今日も元気可愛いですね。
主星から見て公転面に対して地軸、自転面が傾いているからこその四季が作られることになるわけでございまして、球体の直系基準程度で気候が驚くほど変化することの奇跡的な距離感にこそ驚異を感じるようにすればよろしいのではなかろうかなとか予想するわけでございまして、なるほど確率が恐ろしく低いというということは恐怖すら感じさせるものなのであろうかなと連想できるわけでございます。
たかだか上下50度程度の気温差で生存圏が激変するような生物が存在しているという綱渡りのような状況は確かにその存在確率の低さにめまいがするような心持ちになるわけでございます、真面目に計算すると、どうして私たちは存在しているのでしょうかという疑問に衝突しそうになるわけでございまして。逆説的に確率として洗わせるのであるならば、どこかにその結果は実在しているということにもなるのであろうかなとか、連想できるわけでございます。
物事は結果からしか観測できないわけでありましょうかとぼんやり想像するわけでございますが、現実に今ここに存在しているのであるから、可能性としてはあり得ると言い切れるわけでございまして、この辺り、奇跡を求める方々が絶えない原因になっているのではなかろうかなとか予想できるわけでございます。
因果関係を無視しては存在しえないという設定はそのまま活きて行くわけでございまして、原因があって結果があるわけでございまして、その連なりが希少と申しますか、選択肢の幅が膨大であるからこそ、極小の確率として提示されてしまうのであろうかなとか、予想するわけでございます。
このような低い可能性を引き当ててしまうのであるのならば、何が今発生しても不思議はないのではなかろうかという錯覚が生まれてしまうのであろうかなと、数字の魔法と申しますか、印象操作に近いものがあるのではなかろうかとか、想像するわけでございますが、悪用されると、不幸の連鎖が生まれそうではありますねなどという月並みな感想も浮かんでくるわけでございます。
夢はそれを欲している限りにおいていつかは叶うものであるという思考は、それほど間違ってもいないわけでございまして、確率的にはどのように低いものであっても存在するのであろうなとなるわけでございますし、その人格で完結する必要もないわけでござい擦れば、次代へと夢を引き継ぐとかできるわけでございます。
そもそもごまかしてしまって信じてしまうのであるならば、いくらでも夢は叶いまくるわけでございまして、妄想の世界でも満足してしまえば、それは幸せと言えるのではなかろうかとか想像するわけでございます。そこにとどまっているならば、被害は少ないので積極的に誘導するやり口もありそうではございます。
理想郷はその人格のうちにしかないのでは、というお話には、そもそも内のみで構築できるような人格は存在しないのではないかという意見にぶつかるわけでございます、であるならば逆に共同幻想としての理想は、成り立つ可能性が出てくる、のでありましょうかね、などとわかったようなことを言いつつ、おしまいです。
「四季があるということによってもちろん生まれた宗教もありますね」
「地軸が全く傾いていない世界というものも面白そうではありますね」
「逆に無いことが特徴的な宗教もありますな”旦那様”
生物の分布が綺麗な帯状になりそうではありますな”奥様”」




